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丹生・元校長の遺作映像会〜教え子ら遺徳偲ぶ
元・小中学校長で元・紀ノ川映像クラブ会長の丹生善清さん(享年80歳)の「叙勲記念・遺作映像会」が、このほど和歌山県橋本市吉原の自宅横の〝ギャラリーマンダラ〟で開かれ、教え子ら大勢の市民が丹生さんの遺徳を偲んだ。
丹生さんは、和歌山大学学芸学部を卒業。かつらぎ町の天野中学校の教諭を振り出しに教壇に立ち、昭和61年に橋本市立西部中学校長、平成3年には同市立学文路小学校長を経て定年退職。その後、初芝橋本高校でも教鞭をとり、九度山町の高野紙伝承資料館「紙遊苑」では、和紙の漉き方を教えた。
ビデオ撮影は若い頃からの趣味で、昭和天皇・皇后両陛下が高野山・金剛峯寺を訪れた際、高野山での植物採集のお姿をはじめ、郷土の伝統行事、お祭り、名所・史跡、町並み、学校・幼稚園の運動会、文化祭などを次々と撮影・編集した。
その映像は、小中学校の卒業式などで披露するとともに、視聴覚教育にもとり入れた。これらの功績が高く評価され、平成4年には文部大臣賞(視聴覚功労賞)、同24年には叙勲(正六位 瑞宝双光章)を受章した。
丹生さんは過去2回、脳梗塞(こうそく)を患い、自宅療養を続けていたが、昨年12月26日、自宅の車椅子の上で、妻の邦子さん(71)と、世話になっていた介護士の手を握ったまま、眠るように息を引き取った。邦子さんは、逝去当日付の叙勲受章だったので、4月1日から10日間、叙勲記念・遺作映像会を開くことにしたという。
仏画家でもある邦子さんの〝ギャラリーマンダラ〟には、小さな祭壇を設置。在りし日の丹生さんの遺影と、お花が供えられ、壁には教諭時代の運動会や文化祭などの楽しい写真と、邦子さん直筆の何枚もの仏画が掲げられた。また、部屋にはモニターテレビも置いて、丹生さんの遺作のビデオ作品を放映。自由に鑑賞できるようにした。
4月7日には「思い出を語る会」を開催。教諭仲間の九度山町教委の橋詰弘・元教育長やユネスコ・橋本市国際親善協会の後藤加寿恵会長、紀ノ川映像クラブの北森久雄さん、同級生、教え子らが参集。丹生さんのやさしい人柄や、映像作品の素晴らしさを語り合った。
橋本・伊都地方で、丹生さんが撮ったビデオ作品は約70点にのぼり、それらは昭和〜平成時代の郷土の貴重な記録映像ばかり。丹生さんの第1作は、日本一の紀州へら竿の産地・橋本の「竿師」で、最後の作品となったのは、柿や野菜などの収穫風景を撮った「山里で働く人たち」。これら全作品には、ふるさとを思う心があふれていて、多くの市民が感銘を受けている。
和歌山県教育委員会は、丹生さんのビデオ作品を貴重な資料と受け止めており、すでに邦子さんは来月、ビデオ作品を県教委に寄贈することが決まっている。
邦子さんは「主人は私の手を握り、眠るように大往生を遂げました。それに、大勢の教え子の皆さんが、わざわざ訪ねてきてくれて、涙ながらに主人を讃えてくれました。それが何よりうれしいです」と、心から感謝していた。
写真(上)は丹生さんの遺影を見上げる邦子さん。写真(中)は学文路小学校・幼稚園の校長・園長時代にインディアン姿に仮装して子供たちと運動場を行進する丹生さん。写真(下)は丹生さんのビデオ映像を紹介する邦子さん。