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〝石童丸の母の御遠忌〟厳かに~橋本・学文路苅萱堂

平安末期の親子の哀話「石童丸物語」の舞台となった和歌山県橋本市学文路の〝学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)〟で、3月24日、「石童丸の母・千里ノ前(ちさとのまえ)の没後848年の御遠忌(ごおんき)」=高野山真言宗・西光寺(同苅萱堂所有)主催=が営まれた。
〝学文路苅萱堂縁起〟によると、筑紫の国(福岡県)の領主・加藤左衛門繁氏(しげうじ)は、不幸な境遇の千里を館に引き取ったが、自分の罪深さに気づき、高野山で苅萱道心と称して修行した。
その出家後に千里が石童丸を出産。14年後に母子は高野山をめざすが、女人禁制のため、千里は山麓の学文路の宿「玉屋」に残り、石童丸が山上で道心に出会う。修行中の道心は父と名乗れず、石童丸が宿に戻ると、千里は心労から急逝。石童丸は高野山で道心の弟子となり、父は生涯、父子であることを名乗らなかったという物語。
この日、西光寺の田野賢朗住職は、僧侶の長男、二男とともに苅萱堂で読経。これまで高野山などで〝石童物語〟公演をしてきた「はしもとふるさとオペラ」(澤村テル代表)のメンバーや、地元在住の畑野富雄・橋本商工会議所会頭ら計約20人が参列。千里ノ前、石童丸、道心、玉屋の主人をしのび、「霊よ安らかに」と手を合わせていた。
法要の後、学文路苅萱堂の顧問・岩橋哲也さんは「千里ノ前のお墓も土塀も立派になりました。学文路苅萱堂の文化財32点は、和歌山県指定文化財となりました。すべては皆様の努力の賜物です。ありがとうございます」と、参列者を前に挨拶。石童丸物語や、その歴史的資料を、次世代に受け継いでいこうと誓った。
この後、苅萱堂から紅白の餅まきが行われ、境内に詰め掛けた約100人の区民らが、帽子やビニール袋を広げて餅を拾い、大歓声を上げていた。
学文路苅萱堂の南側には、千里ノ前のお墓があり、西側には三つの句碑がある。それぞれに「道心のおこりは花のつぼむ時 去来」「冬垣の人懐かしき椿かな 木城」「悲話残す千里の塚も虫浄土 蘇風」とある。蘇風とは岩橋さんの俳号。早くも苅萱堂北側の桜が満開で、句碑周辺の椿も真っ赤に色づき、観光客やハイカーらが立ち寄っている。
写真(上)は学文路苅萱堂で営まれた石童丸の母・千里ノ前の没後848年御遠忌。写真(中)は学文路苅萱堂に掲げられている石童丸物語の絵解き絵。写真(下)は空に舞う紅白の餅の数々と善男善女たち。


更新日:2013年3月25日 月曜日 09:54

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