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「反原発!」講演へ…福島から避難の佐藤さん

昨春の東日本大震災で、福島原発事故の被害をもろに受け、娘の嫁ぎ先である和歌山県和歌山市で避難生活を送っている元・福島県剣道道場連盟会長の佐藤勉さん(67)が、5月12日、和歌山県かつらぎ町佐野551の「佐野(さや)住民会館」で開かれる〝九条の会 橋本・高野口・かつらぎ〟合同講演会で、「まだ許すのか、原発を~福島から強く訴える~」と題して講演する。聴講無料。
佐藤さんは福島県富岡町に自宅があり、福島第1原発と同第2原発に挟まれた地域で生活。昨年3月の大地震、大津波、原発事故の際、自宅は屋根瓦や庭石が崩れた程度だったが、第1原発まで7、8キロ、第2原発まで4キロと目と鼻の距離。放射能の恐怖の真っ只中にいた。
それでも、福島県を離れる気はなかったが、たまたま和歌山市内に長女と二女が嫁いでいた。長女と二女、それに福島県内に住む長男と二男の必死の説得を受け、妻の和子さん(62)に「どうしたい」と本心を尋ねたところ、「娘のところに行きたい」と涙ぐむので、郷里を離れる決心をしたという。
3月16日、大雪の中、長女と二女の2人の夫が、はるばるマイカーで佐藤さん夫婦を迎え、3月17日、長女宅に避難。今は近くの雇用促進住宅で暮らしている。
一方、佐藤さんの近所に住んでいた長男夫婦と二男夫婦は、福島県内の別の町で放射能から避難生活。長男は商売のスナックを辞め、東電の補償金で生活をつなぎ、二男は会社勤めで生計を立てている。
佐藤さんは剣道教士7段の腕前で、福島県剣道道場連盟会長を10年間務めた。県立小高農工高校時代、剣道の外来講師・鈴木七郎さん(歯科医)の影響を受け、「生涯、青少年の健全育成に貢献する」と決意。1972年(昭和47)には富岡町少年剣道団を設立し〝剣道日本一〟を5人も輩出したのをはじめ、少年体操クラブや婦人体操クラブ、スポーツ吹矢クラブなども次々と立ち上げ、多くの福島県民の心身鍛錬に打ち込んできた。しかし、原発事故は一瞬にして、それら団体を解散させ、人々の大切な絆(きずな)をばらばらに引き裂いたという。
佐藤さんは「富岡町は人口わずか1600人の小さな町ですが、その昔、電源三法交付金で武道館やコミュニティセンターなどが相次いで建つ。原発関連会社のお陰で、商店街も飲み屋もパチンコ店も流行る。経済的には誠に豊かで、安全神話にどっぷりつかっていた訳です」と前置きし、「ところが原発事故でやっと目が覚めた。放射能汚染によるがん発症は20~30年も先でしょう。私たちは構いませんが、児童や少年たちのことを思いますとね…。危険極まりない原発はもうごめんです」と断言。「エネルギーは絶対に他のものに切り替え、昔から日本人が最も大切にした〝清貧〟という言葉通り、質素な生活に戻るべきです」と話した。
合同講演会の当日は、午後1時15分から第7回「九条の会・かつらぎ」総会があり、講演会は午後2時から開催。「憲法九条をまもる伊都・橋本連絡会」の草田信行代表の挨拶の後、佐藤さんが約1時間半、生々しい〝原発体験〟を基に「反原発」を訴える。
「九条の会 橋本・高野口・かつらぎ」の会員は計約820人。同かつらぎ事務局長の植西祥司さんは「和歌山市で開かれた3・11被災地の〝復興支援、原発反対〟の和歌山集会の際、メッセージをアピールした佐藤さんに出会い、その堂々たる人柄に感銘。講演をお願いしたところ、快諾してくれました。ぜひ、大勢の人たちに聴いていただきたいと」と話した。
写真(上)は佐藤さんと妻の和子さん(和歌山市の自宅=雇用促進住宅で)。写真(中)は講演会のチラシのタイトル部分。写真(下)は講演会場となる佐野住民会館。


更新日:2012年5月7日 月曜日 07:05

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