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〝石童丸の母子の歌〟発表~岩橋さん父子作詞作曲

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石童物語の絵解き絵馬を見上げる岩橋さん(学文路苅萱堂で)
    石童物語の絵解き絵馬を見上げる岩橋さん(学文路苅萱堂で)
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石童物語の絵解き絵馬を見上げる岩橋さん(学文路苅萱堂で)
    石童丸物語を描いた絵馬(学文路苅萱堂・所蔵)
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石童丸物語を伝える学文路苅萱堂(西光寺境内)
    石童丸物語を伝える学文路苅萱堂(西光寺境内)

平安末期の親子の哀話〝石童物語〟…。その舞台となった和歌山県橋本市学文路の〝学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)保存会長・岩橋哲也さんが作詞、長女で音楽家の中西哉子さんが作曲した「千里親子旅(ちさとおやこたび)」が、〝橋本市民大学いきいき学園〟の学芸会で発表されることになった。岩橋さんは「これを機会に、この歌が歌われ、石童丸物語が次世代に伝わってほしい」と話した。
学文路苅萱堂(西光寺境内)縁起によると、筑紫の国(福岡県)の領主・加藤左衛門繁氏(しげうじ)は、妻と平穏に暮らしていたが、父の旧友の遺児・千里の不幸な境遇に同情し、自分の館に引き取った。
あるとき、表面は仲睦まじい2人の本心を見抜いた繁氏は、自分の罪の深さに気づいて出家、高野山に登り苅萱道心と称して修行。ところが、道心が出家して間もなく、千里は一子・石童丸を出産した。
石童丸14歳の時、父のことを知った石童丸が、千里とともに高野山をめざすが、女人禁制のため、石童丸は高野山麓の学文路の宿に千里を残し、1人で登山。山上の〝無明の橋〟で道心に出会うが、修行中の道心は父と名乗れない。石童丸が落胆して山麓の宿に戻ると、心労のためすでに千里が急逝。その後、石童丸は高野山で道心の弟子となり、仏道修行するが、生涯、父子の名乗りをすることはなかったというストーリー。
〝石童丸物語〟は中世以降、高野聖(こうやひじり)の一派、萱堂聖(かやどうひじり)によって語られ、江戸初期になると説経節や浄瑠璃、琵琶歌となって、全国に広まった。
学文路苅萱堂の開基は、明らかではないが、もともと如意珠山能満院(にょいしゅざんのうまんいん)と呼ばれ、江戸中期(1740)以降、仁徳寺と改称された。約20年前までは、すさまじく荒廃していたが、1992年3月、岩橋さんら保存会の人たちが、見事復興させている。
岩橋さん父子が作った「千里親子旅」は、
「♪花のつぼみの盃に 落ちて始まるこの運命(さだめ) 共に暮らした筑紫野の 想い切々今いずこ 千里親子の物語 君をさがして旅に出る あゝあゝ千里親子の物語 あゝあゝ千里親子の物語
♪石童丸と母千里 辿り着いたるこの宿で 山の掟(おきて)を知ることに 高野めざしてただ一人 石童丸は父探す 寺寺廻り尋ねるも あゝあゝ今道心は探し得ず あゝあゝ今道心は探し得ず
♪無明の橋で逢いし僧 もしや父かと尋ねしが もはや儚(はかな)くなりしとか 学文路の宿に戻りなば すでに千里も死出の旅 再び山の僧求め あゝあゝ親子名乗らず修行せり あゝあゝ親子名乗らず修行せり あゝあゝ千里親子の物語」
と、いう歌詞で、中西哉子さんは、岩橋さんの歌詞に合わせ、演歌調に仕立てている。
12月10日(土)午前9時半から、橋本市教育文化会館2階大ホールで〝いきいき学園〟の学芸会が開かれ、1、2、3年生(60~70歳代)が参加。3年生の約30人が「千里親子旅」を歌う。一般見学OKで、入場無料。
学園生らは「昔は母親の寝物語で、昔話が伝わりましたが、今は寝物語をする母親も少なくなりました。この石童丸の母子の歌は珍しいし、素敵な歌だと思います。みんなで機会あるごとに歌って、広めたいものです」などと話し、本番に向けて猛練習している。
岩橋さんは「これからも学文路苅萱堂を守り、石童丸物語を通して、親子の情愛の大切さを次世代に伝えたい」と誓っていた。


更新日:2011年11月10日 木曜日 09:30

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