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橋本の音楽家に半世紀ぶり御礼~中央大グリークOB
約50年前、和歌山県橋本市の文化賞受賞者で音楽家の澤村テルさん(89)と、元県立橋本高校音楽教諭の林邦有さん(81)の2人の協力で、橋本市でコンサートを開催することができたとして、当時の中央大学グリークラブのメンバー7人は、同市東家の割烹・堺屋で「御礼を述べる会」を開き、半世紀ぶりに再会した。澤村さんと林さんは「よく遠い昔のことを覚えていてくれた」と大喜びで、幹事役を引き受けた地元の呉服商、谷口善志郎さん(73)は「いくつになっても感謝と御礼はきもちいいものです」と話した。
谷口さんの話によると、1957年4月、東京の「和敬塾」(学生寮)で、親しくなった中央大学グリークラブ員の小林公孝さん(1年)が「4年後には、クラブのキャプテンになり、橋本できっと演奏会を開く」と断言した。
谷口さんは、忘れていたが、60年1月、「大学側から橋本での合宿、演奏会開催の許可が出た。電報で知らせてきた」と小林さんが言う。驚いた谷口さんは、その日のうちに〝夜汽車〟で郷里に帰り、父の知己であった高野山・赤松院住職に頼み、宿坊での合宿を予約した。
また、叔母と橋本高等女学校(現・橋本高校・古佐田丘中学校)の同窓生で、音楽家の澤村さん、それに橋本高校の恩師で音楽担当教諭の林さんに、グリークラブの演奏会開催・支援を頼むと、にこにこと快諾してくれたという。
そのお蔭で、同グリークラブは、同年4月3日、橋本小学校講堂で開かれた「市民音楽祭と100名の大合唱」に出演し、「月光とピエロ」(清水修作曲)や、国内外の民謡、童謡などを歌い、大きな喝采を浴びた。メンバーらは堺屋の前身、紀ノ川に注ぐ橋本川沿いにあった「堺屋旅館」で全員、親子丼を食べて帰京したという。
あれから51年半…。グリークラブOBの間から、「私たちも70歳代、 両先生が、お元気なうちに、ぜひ、お会いしたい」と、話が盛り上がり、10月4日、再会が実現した。
割烹・堺屋は高野山麓の紀ノ川北岸にある。その16畳の間で、澤村さん、林さん、谷口さんと、小林さんらメンバー7人、それに演奏会当時、中学1年生だった澤村さんの二女、小嶋彩子さんも出席。テーブルを囲んだ。
全員で乾杯の後、谷口さんが「澤村先生は、オペラ〝石童丸物語〟を指導、公演するなど活躍。橋本市文化賞、和歌山県音楽教育連盟表彰を受賞されています。林先生は、音楽だけでなく、橋本地方の方言、だんじり囃子を研究、著書を出版されるなど、郷土に貢献され、橋本市文化賞を受賞しています」と、その後の功績を紹介。「やはり、すてきですね」と、グリークラブのメンバーをうならせた。
メンバーは全員、澤村さんと林さんに「その節は、大変お世話になりました」と御礼を述べ、昔話に花を咲かせた。メンバーが中央大学・校歌を歌い出したのを皮切りに、林さんが両手で〝見えない指揮棒〟を振る、澤村さんが、今なお美しい声を出す。そして、やがて全員で、51年前に舞台で歌った「月光とピエロ」など、数曲を声高らかに合唱した。
澤村さんは、終始にこにこと笑顔を絶やさず、林さんは「きょうは若い人たちに会えてよかった。おおきに、おおきに…」と何度も、謝辞を繰り返した。谷口さんは、画家でもある小嶋さんのヒマワリの絵が印刷された団扇(うちわ)と、はがき5枚セットを記念品として贈り、最後に紀ノ川をバックに記念撮影。「お互いにお元気で」と別れを惜しんだ。
谷口さんは「あっという間の3時間でした。でも、メンバーは、半世紀前に世話になったことを忘れず、ついに念願かない、お礼が言えたことで、納得してくれました。私も、51年前、メンバーに親子丼を食べてもらっただけで、帰してしまいましたが、それが、今日まで心残りだったことを打ち明けることができました。ほんとうによかったと思います」と語った。