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「一粒の種」砂川さん歌う~10月、橋本高体育館

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橋本高校・古佐田丘中学校にやってくる砂川恵理花さん
    橋本高校・古佐田丘中学校にやってくる砂川恵理花さん
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橋本高校・古佐田丘中学校にやってくる砂川恵理花さん
    「一粒の種」の歌を練習する橋本高校コーラス部
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砂川恵理さんがやってくる橋本高校・古佐田丘中学校
    砂川恵理さんがやってくる橋本高校・古佐田丘中学校

ある末期がん患者の「一粒の種でいいから生きていたい」と、言い残した言葉から生まれた歌「一粒の種」を歌う、沖縄県・宮古島市出身の人気歌手・砂川恵理花(すながわ・えりか)さんのミニコンサートが、10月19日、和歌山県橋本市古佐田の県立橋本高校・古佐田丘中学校(中高一貫)の体育館で、開かれることになった。北浦健司校長は「当校の全校生が対象ですが、一般の方々の入場も大歓迎です」と言っている。
砂川さんは、沖縄県在住で、介護職の経歴を持つ異色シンガー。2006年にデビューし、09年2月には、実話をもとに宮古島の人たちが生んだシングル「一粒の種」を歌い、沖縄の年間トップセールスを記録。その後、全国の学校、病院、福祉施設などでミニコンサートを開き、「一粒の種」を歌って、人の心と命の尊さを訴えている。
今年6月、橋本市在住の和歌山県教委委員で童話作家の佐藤律子さんが「心温まる歌手が沖縄におられて〝一粒の種〟というすてきな歌を歌っている。生徒たちに聴いてもらったら、きっと感銘するでしょう。生徒の将来にとって、いいのではないでしょうか」と持ちかけた。
北浦校長が、早速、インターネットで砂川さんのホームページを読み、CDを購入して「一粒粒の種」を聞いてみた。「強く胸を打たれました。すぐに砂川さんの宮古島の事務所に電話をかけて、〝当校で歌ってもらえないでしょうか〟とお願いしたら、快く承諾していただきました」と言う。
砂川さんのミニコンサート開催が決定したことで、生徒たちはもちろん、とくに同校のコーラス部は大喜びで、「当日は、ぜひとも砂川さんと一緒に歌いたい」と切望。顧問の中村紘子教諭のピアノ伴奏で「一粒の種」の合唱練習を続けている。中村教諭は「砂川さんと、まだ、約束はできていにいのですが、生徒たちがしっかり練習しておけば、砂川さんと一緒に歌うことができると信じています」と話し、部員らは、胸をわくわくさせている。
ミニコンサートは、午後1時25分から同2時15分までの予定で、橋本高校生約600人、古佐田丘中学校生約240人の計約840人が聴くことになる。一般の入場は無料で入場自由。北浦校長は「砂川さんの歌を聴き、〝一粒の種〟が生まれた訳や、その詩の素晴らしさを、ぜひ知ってほしい」と話した。
佐藤さんは「この詩は家族を残し、がんで亡くなった男性の言葉を、看護師が受け止め、その心を〝自分では人に伝えられない〟といって捨てないで、次の人、また次の人とリレーで託して出来ました。どんな問題も、自分だけで抱え込まないで、人に託すことの大切さも教えてくれています」と、コンサート開催を喜んでいる。
以下は「一粒の種」の詩と「一粒の種」が生まれるまで(砂川恵理花さん筆)。
「一粒の種」
一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいから
私もう一度 一粒の種になるよ

出会って 語って 笑って 泣いた
生きててよかったよ
あなたのそばでよかったよ

一粒の種は風に飛ばされ
どっかへ行ってしまうけれど
あなたへと辿る確かな道を
少しずつ舞い戻って

丘の上からあなたにだけ見える
闇にも負けない光を放とう
ささやかな日々に愛をもらった
私にはそれができる

一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいけど
あなたにだけ気づいてもらえる種になる

痩せた頬に もう涙を流さないで
震える声で もう語りかけないで
私は笑顔であなたを見ている
私を愛するあなたを見ている

心配ばかりかけてごめんね
淋しい思いさせてごめんね
そろそろあなたを
次の場所で喜ばせてあげるから

一粒の種に 一粒の種に
ちっちゃくていいから
命の種に 必ずなるから
すぐそばにいるから

「一粒の種」が生まれるまで
その歌は、ある男性が最期にもらした切なる願いから生まれました。
46歳という若さでこの世を去った中島正人さんは、末期がんと宣告されながらも、老齢の両親を気遣い、一人きりで闘病を続けていました。普段の彼は重い病とは思えないほど気丈にふるまい、不安や辛さを口にすることは一切なかったそうです。しかし、ある夜、看護師は彼の本当の思いに触れます。
「一粒の種でいいから生きていたい」
身を震わせ、大粒の涙を流しながら、吐き出すように語ったその言葉に、看護師は何も応えることができませんでした。そして、その数時間後に中島さんは昏睡状態に陥り、三日後、静かに息を引き取ります。
中島さんの最期の言葉に心を揺さぶられた宮古島出身の看護師・高橋尚子さんは、その想いを一編の詩にしたためます。彼女もまた、がんの恐ろしさを身を持って体験した方でした。以前、がんの疑いがあり、開腹手術を受けたことがありました。だからこそ、中島さんの想いを受け取り、自分が彼の代わりに種を蒔こうと決意し、メールマガジンに詩を発表したのです。
一方、中島さんのお母さんは、息子を亡くした哀しみから倒れ、言葉を発することができなくなっていました。そのことを知った高橋さんは、中島さんの想いをお母さんへ届けるために、詩に曲を付けることを思いつきます。歌にすれば、お母さんの心にもきっと届くと信じて、同郷の友人であるミュージシャンの下地勇さんに作曲をお願いしました。
詩を受け取った下地さんは、そこに秘められた想いの強さに絶句します。一度は引き受けたものの、どうしても一音も生み出せず、高橋さんに断りの連絡を入れました。それでも、どんなに時間がかかっても詩と向き合わないといけないと思い直し、一年後、苦心の末にようやく曲が完成します。
出来上がった曲は、すぐに中島さんのお母さんの元にも届けられました。そして、その曲を聴いたとき、お母さんは一年ぶりに言葉を発したのです。
中島さんの切なる願い、そして高橋さんや下地さんの想いがつまった大切な曲。たくさんの想いを抱えながら、一人の蒔き手として、私は皆さんの元に「一粒の種」を届けています。                  砂川恵理花(歌手)


更新日:2011年9月20日 火曜日 09:31

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