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国民義勇隊の組織図発見~「一億玉砕」を彷彿
全国民が命を捨てて〝鬼畜米英〟と戦えという「一億総玉砕」が叫ばれた時代、1945年(昭和20)5月の「橋本町(現・橋本市)国民義勇隊」の組織図と、「小隊長委嘱書」が、6月23日、和歌山県橋本市古佐田、阪口繁昭さん(83)方で見つかった。この日は、沖縄戦終結から66年「慰霊の日」。阪口さんは「もっと早く戦争を終わらせることができていれば…と悔やまれてならない。戦争は2度と繰り返してはならない」と語った。
「橋本町国民義勇隊」の組織図には、「昭和二十年五月二十七日結成」とあり、隊長 平野熊太郎のほか、副隊長3人(うち1人は女性)、幕僚(ばくりょう)9人、挺身員26人、中隊長11人(うち女性5人)、小隊長45人、女子隊顧問13人の姓名がガリ版刷りで書かれている。
「小隊長委嘱書」は、「昭和二十年五月二十一日」の日付で、「委嘱書 市村伎志枝 橋本町国民義勇隊小隊長ヲ委嘱ス 和歌山県伊都郡 橋本町国民義勇隊長 平野熊太郎」とあり、押印されている。この2枚の資料の日付によると、先に委嘱者を選び、委嘱書を渡して、6日後に「橋本町国民義勇隊」が組織されたことになる。
国民義勇隊は1945年に施行された義勇兵役法に基づく民兵組織で、全国各地で、平素から竹ヤリなどで軍事訓練。国は必要に応じ国民義勇戦闘隊に召集でき、戦闘隊は本土決戦に2800万人を動員する予定だったという。
今回、資料整理中に古いアルバムから見つかった、これら2枚の資料は、阪口さんの母・シゲノさん(当時、橋本町内会長、愛国婦人会長)が、町役場から渡されたのを保管。阪口さんがシゲノさんの遺品の一つとして、アルバムに収めていたという。
阪口さんは、元満蒙開拓少年義勇隊として中国に渡り、間もなく兵役に就いて、中ソ国境付近で転戦。ソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留。九死に一生を得たものの、頭に被弾し、耳が不自由になった、つらい経験を持つ。「沖縄戦で悲惨な戦いを終えたのに、一億玉砕、本土決戦などと、なぜ叫んでいたのか。せめてあの時、戦争をやめていたら…」と心を痛める。
そして、「このような資料は、全国各地にあるでしょうが、橋本町のものは、散逸して残っていないはず。この組織図に出ているお名前は、今、地元で現役世代の祖父、祖母のお名前でしょう。貴重なものですから、将来、公共の施設で保存をお願いします」と話した。