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中将姫の幻の〝糸の細道〟~26日、田中さん講演

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中将姫のイラストや和歌を染め抜いた暖簾
    中将姫のイラストや和歌を染め抜いた暖簾
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中将姫のイラストや和歌を染め抜いた暖簾
    中将姫についての講演があるカフェ&ギャラリー「藪椿」(手前左)と別棟(同右)
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田中さんが調査・執筆・制作した冊子(中将姫の旧跡を写真で紹介)
    田中さんが調査・執筆・制作した冊子(中将姫の旧跡を写真で紹介)

奈良時代の女性史のヒロイン、中将姫ゆかりの和歌山県橋本市恋野989にあるカフェ&ギャラリー「藪椿」(別棟和室)で、11月26日(土)午後2時半から、「糸(伊都)の細道とは」(もう一つの古道 幻の〝糸の細道〟への招待)と題した講演会が開かれる。講師の中将姫旧跡保存委員会の田中治会長(85)は「2004年に〝紀伊山地の霊場と参詣道〟が世界遺産に登録されて以降、日本各地の古道が再認識されています。中将姫が往来した〝糸の細道〟についても、ぜひ知ってほしい」と言っている。聴講無料。
自然保護の市民団体「玉川峡(紀伊丹生川)を守る会」が、第14回総会の記念講演として企画・主催。「一般の聴講参加も歓迎」と言っている。総会は講演終了後に開かれる。
田中会長の話によると、中将姫は747年、従一位右大臣の朝臣・藤原豊成と品沢親王の息女・紫の前の間に出生。中将姫は幼い頃に母と死別し、父は後妻を迎える。中将姫は成長に伴い容姿端麗で英知に富んだため、これをねたむ義母が中将姫殺害を謀(はか)る。恋野は中将姫が2年3か月、隠れ住んだ里で、ここには中将姫が亡き母をしのび散策した〝中将が森〟や、厳しい生活の末に父との再会を果たした〝中将倉〟など、様々な旧跡が残っている。
幻の〝糸の細道〟とは、古都・奈良から南下する道(中ツ道、下ツ道)で、栄山寺を経て、紀の川(吉野川)の河南道路となり、阪合部~恋し野の里~学文路~九度山~天野~有田~熊野街道へと続く道のこと。紀の川の河北の大和街道(南海道、伊勢街道)に対し、糸の細道は、隠れ人たちの〝裏街道〟だったらしい。
この道は、中将姫が板張りの輿(こし)に載せられ、殺害のために雲雀山(ひばりやま)に向った細道であり、隠棲生活の間、淋しく散策した道でもある。中将姫が里人たちと戯れ、山菜取りや野花摘み、川魚取りをした〝糸の懸橋〟や、中将姫が松の根方で手を振れば、指先から五色の糸が出て、松の小枝から小枝に渡され、美しい布が織られたという〝布経の松〟にちなんで、糸(いと)から「伊都」の地方名となったとされている。
講演会では、田中会長が調査・執筆した冊子「もう一つの古道 幻の〝糸の細道〟への招待」を配布し、わかりやすい説明がある。


更新日:2011年11月6日 日曜日 00:15

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