「ムナと大きな声を発し一息に、私の差し出した図録の裏表紙いっぱい、墨黒々と棟方の棟の一字をサインして下さった。それは棟方志功先生だった。それはもう20余年も前の美術展会場での出来事…」。 これは、和歌山県橋本市妻の木版画家・巽好彦さん(76)が1993年、棟方さん創設の日本板画院同人に推挙された時の、… 続きを読む
あれはもう50年も昔の記憶。大阪は、南海高野線の「帝塚山駅」。目鼻立ちの整った、着物姿の、50歳代の紳士が、いつも夕刻、よく改札口を通った。前で組み合わせた両手には、いつもハンカチをかぶせていた。全身から発散する、その不思議なオーラ。当時、改札係だった山内さんが思わず聞く。「あの人は、いったい、だ… 続きを読む
「おかん(お母さん)、左足のひざが痛い」。橋本市立紀見東中3年の二男・拓也君(15)が、そう小声でもらしたのは、1996年7月の蒸し暑い頃だった。 佐藤さんは会社員の夫と長男、長女、そして拓也君との5人家族。最初は「どうせ反抗期の、年頃の子の言うことば」と、軽く受け流していたが、あまりに痛がるので、大… 続きを読む
早春の水がまぶしい。水流は、ときには岩に砕け、ときには淀み、ときには滝となる。ここは和歌山県橋本市北宿(きたやどり)、高野山南麓(ろく)の峡谷「紀伊丹生川」だ。水流があまりにも美しいことから、通称「玉川」と呼ばれる。「この自然こそが、わたしの古里です。都会の人々に、この素晴らしさを満喫してほしい」と切… 続きを読む