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まるで〝走る美女〟を撮影~単線区間のズームカー

前回「さようなら21000系ズームカー」を取り上げたところ、「単線区間を走る写真があれば」という要望があった。このシリーズで、今まで7回ほど登場したことがあるが、要望に応えて今回21回目のアーカイブスは、橋本(和歌山県橋本市)までまだ単線だったころの、紀見峠―紀伊清水間の初公開になるモノクロ写真3枚を紹介しよう。
その前に…
南海電鉄・纂の「80周年記念・最近の10年」(昭和40年発行)によると、ズームカーは1958年(昭和33)から64年(昭和39)にかけて、山間部の急勾配線と平坦線の両方に適応する性能をもたせることを目的に32両を製作。いずれも17メートル4両連結で、車体については安全かつ快適の乗り心地を有し、高野線山間部の急勾配、急曲線を制限速度いっぱいで運転。一方、平坦線においては、時速100キロメートルの高速度を出す性能を有し、乗客の多寡にかかわらず、加減速度が一定になるよう設計―と解説している。ちなみに座席は、転換式クロスシートとロングシートの2種類の仕様だった。
21000系が高野線から姿を消した後は、一部は大井川鉄道(静岡県)や、一畑電車(島根県)などに譲渡され、塗装の変更によって南海色は変わったものの、外観は同じで、今も現役で活躍している。
もう10数年ほど前になるだろうか。グループで大井川鉄道を利用して、寸又峡温泉に旅行したときのこと。ホームに入線してきたのが高野線当時そのままの電車。懐かしさのあまり、えらく興奮したことを覚えている。このころの大井川鉄道は、2両連結だが、譲渡のままで運行していた。
旅行グループの1人、橋本市三石台の丸沢耕作さん(68)は「いまでもあの感激は忘れられない」という。
どんな電車にせよ、駅、車内の光景、車窓から眺める風景、走る音など、ひとつひとつが思い出として、人々の心に深く刻み込まれていく、鉄道は不思議な存在だと思う。
写真(上)は、紀見峠駅から少し下がった地点=80年3月20日撮影。(中)は、御幸辻駅付近=94年5月20日撮影、(下)は紀の川鉄橋を渡った紀伊清水駅寄りの地点=97年8月17日撮影。いずれもランニングする美女にカメラを向けたような気分で撮影した。
                         (フォトライター 北森久雄)


更新日:2011年9月30日 金曜日 07:23

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