特集

今、桜と鶯の杉村公園、昭和の家でゆったりと

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春爛漫の杉村公園「松林荘}
    春爛漫の杉村公園「松林荘}
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春爛漫の杉村公園「松林荘}
    杉村公園の池にかかる朱塗りの吊り橋
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杉村公園で花見の宴を楽しむ人たち
    杉村公園で花見の宴を楽しむ人たち

急坂をのぼると、松林の中に、木造瓦葺2階建ての家が見えてきた。松林の中の、去年の下草は、全部刈られている。今は、そのあちこちに春草が萌え、幾つもの松毬(まつかさ)がころがっている。松葉の緑、松の幹の亀甲模様、松毬の数…。その、やや冷たい空気をやわらげるように、桜の古木に花が開きはじめていた。「ホー、ホケキョー」とは、まだ鳴けず、或いは「ホー、ホッホッ」、或いは「ケキョケキョケキョ」と、中途半端に鳴く、まだ若い鶯の声。それでも、一応は、透き通るような声で、四方八方から鳴き競っていた。
松林の中のあの家は、ここ和歌山県橋本市御幸辻の杉村公園にある「松林荘」(約200平方メートル)である。もともと実業家の故・杉村林之助さんの本宅だっが、杉村さんが1970年に・家のぐるりの広大な庭(12・5ヘクタール)とともに、ぽーんと橋本市へ寄贈した。それを市が改修、整備して、家は市民のための「生活学習施設」、庭は「公園」として、無料開放している。
私が、松林荘の玄関で、ぼーっと立っていると、「何かご用ですか」と、内からやさしいそうな男性の声がした。挨拶して、名刺交換すると、公園内にある橋本市郷土資料館の有澤斗志夫館長だった。許可を得て家にあがる。座敷のガラス戸と紙障子を開け放つ。廊下の籐椅子に座る。春風が吹きぬける。庭には、やはり松毬が転がっていて、松のあいだの桜が、日を浴びてまぶしかった。裏の炊事場に回ると、竈(へっつい)の上に、茶釜や蒸篭(せいろ)があり、ちょいとしゃれたタイル張りの風呂場の床下には、きちんと薪(たきぎ)が備えられ、井戸もあった。すべてが深閑としていて、半世紀も前の、杉村さん一家の、暮らしがしのばれた。帰り際、有澤館長は「この松林荘は、資料館に連絡くだされば、自由にお貸ししています。俳句会や短歌会、お茶会、単なる食事会や寄り合い…。皆さん、とても落ち着くといって、喜んでくれています」と話した。
それからまた、ごみひとつない散策道を歩いてゆく。空も青ければ、池の水も青く、周囲の森も青い。その池の上を、ゆるやかな曲線を描いて、朱塗りの吊り橋がかかっている。この公園の、森の中の、いわば素敵なアクセントである。家族連れが「わぁ揺れる」「怖い」「楽しい~」などと、めいめい歓声を上げている。高所恐怖症の私も、やせ我慢して、中央まで行ってみる。足がすくむ。遠くに目をやる。三方は山だが、一方は視界がひらけていて、近くに市街地の家々、遠くに春の山々が連なる。その遥か向こうに、一山抜きんでて、大峯山の雪嶺がかがやいて見えた。ここはもうすぐ春爛漫だというのに、あの山は、いまだに真冬なのだと思う。
散策道に戻り、しばらく歩くと、森の高台にある広場に出た。周囲は桜並木だ。5、6人の男女が、ブルーシートを敷いて、花見の宴の最中。みんな声高で、話が盛りあがっている。それを横目に行くと、歌碑や句碑のある通りに出た。「大和の国 大峯あたり夕立か 雲罩めてゐて雷すなり」(泰)とある。ああ、これが昔、橋本地方にあった「紀ノ川新報」の代表・児島泰さん(故人)の句か。そのおおらかな句風に感服する。さらに、「遥かなる山上ケ嶽雪が来し」(青塔)、「青葉木兎こころに点し得て戻る」(山彦)、「黄落す時の流れの樹下に佇つ」(洲峰)など、風化した文字の数々。これらの吟詠は、かつて私と同じように、この公園を歩き、自然の中に自分の心を見た、生きた心の証ともいえようか。
約1時間かけて、ゆったり歩き、橋本市郷土資料館の下の駐車場に戻る。そばの池では、鴨のつがいが、長い水尾を曳いて、仲良く泳いでいる。大阪から目と鼻の近さだというのに、案外、人々に知られていない杉村公園。しかし、先程、有澤館長は「小学校の子どもたちも、団体でよく遊びにきますよ」と言っていた。そのことばが妙にうれしく耳に残っていた。
                   雪嶺の遠く見へゐる春半ば
                          (水津 順風)


更新日:2011年4月9日 土曜日 09:21

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