特集

さよなら~紀伊見荘~ 養叟庵など近辺歩く

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3月末で40年の歴史に幕を閉じた国民宿舎「紀伊見荘」
    3月末で40年の歴史に幕を閉じた国民宿舎「紀伊見荘」
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3月末で40年の歴史に幕を閉じた国民宿舎「紀伊見荘」
    養叟庵(左)と向こうに見える国民宿舎「紀伊見荘」
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牛頭天王社わきの巨木の走り根と青苔が神々しい
    牛頭天王社わきの巨木の走り根と青苔が神々しい

湯舟の中から、湯舟の外を見ると、壁の鏡に向かう男4人の、背中が見える。右端の男は、顎(あご)を泡まみれにして、髭剃りに夢中。次の男は、シャワーで髪を洗い、ついでに、がらがらと嗽(うがい)。次は、ふぐりの見えるほど、腰を浮かし、前から尻にかけて、石鹸タオルで清掃中。左端の男は、歯を磨きながら、こっくり、こっくり、居眠りしていた。ここは3月末に、オープン以来40年の歴史に幕を閉じた、和歌山県橋本市矢倉脇の国民宿舎「紀伊見荘」の大浴場。閉鎖する3日前の、洗い場の情景である。
今度は、お湯の中で、回れ右をする。反対側の、パノラマ状のガラス窓を見る。目いっぱいに迫る春の山。桜の木々の幹は、花を咲かそうとして、赤らんでいる。青い空を流れる雲の群れ。その山裾に、南海高野線「紀見峠駅」の古びた駅舎。沿線を清流・根古川の水が、岩湧山系から紀ノ川へ向かう。人も裸で、湯と親しんでいれば、山川もありのままで、風や日と戯れていた。
湯舟の中では、石造りの筧(かけひ)から、湯が音をたてて噴き出す。たふたぶと広がる湯の波。頭に濡れタオルを置いて、目をつむり、つくづく思う。この風呂に通うこと12年。この間、永年勤めた読売新聞を退職した。母が91歳で死去。妻が脳梗塞で倒れ、言語壊滅で右半身不随に。友人の幾人かは鬼籍に入った。そのうえ、今度は、東日本大震災。テレビでは、海に向かい「お母さーん」と叫ぶ女の子。なんとまあ、いろいろあって、その都度、頭からお湯をかぶり、女々しくも、泣いてきた。しかし、この風呂も、いや、この国民宿舎も、ついに閉鎖である。もう、この周辺に来ることは、滅多にあるまい。そう思うと、少し、周辺を散策したくなった。
約20分後には、茅葺屋根の一軒家、「養叟庵(ようそうあん)」の前にいた。ここは室町時代、京都・大徳寺の高僧で、とんちで名高い「一休さん」の兄弟子、養叟和尚の終焉の地だ。近くに塔所(墓地)もある。庵はすべて雨戸が閉じられ、人の気配はなく、裏山で鳴くヒヨドリの声がピーッと響いた。南側の「牛頭天王社」へは、わずか数十歩の距離。そこへ歩き、石の鳥居をくぐり、阿吽(あうん)の狛犬(こまいぬ)の間を抜けて、石段を登ると小さな祠があった。賽銭を投げる、鈴を鳴らす、拍手を打つ、息を吸う、吐きながら祈る…。自分の為すことすべてが、それなりの音となって、確かに聴こえた。左へ進むと、ヒノキやクスノキ、カシなどの神木の森。一面、巨木の走り根と、青い苔に覆われていて、そこに木漏れ日が、神々しく差していた。
養叟庵といい、牛頭天王社といい、紀伊見荘から、いつも眺めていた風景の中に、こんな世界があったとは…。自ら、自分の足で、分け入った実感である。帰る途中、「養叟庵」の前から、東を見上げると、丘陵の上に紀伊見荘が見えた。あの風呂には、あいつとも、あいつとも入った。世間話をした。橋本の人情を、橋本の夜を、とつとつと教えてもらった。そして、橋本駅から、難波駅から、無限といっていいほどの、乗降客を乗せて、往来したはずの、南海高野線の、狭い踏み切り。そこを渡った後、煙草に火をつけた。
                  息吸うてそして拝みし桜二分
                         (水津 順風)


更新日:2011年4月4日 月曜日 22:34

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