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木版画は出会いの結晶~日本板画院同人・巽さん

    郷土の風景を木版画にし続ける巽好彦さん
    郷土の風景を木版画にし続ける巽好彦さん
    郷土の風景を木版画にし続ける巽好彦さん
    巽さんの作品「道標石のある町」
    巽さんの作品「松ヶ枝橋(本町通り)」
    巽さんの作品「松ヶ枝橋(本町通り)」

「ムナと大きな声を発し一息に、私の差し出した図録の裏表紙いっぱい、墨黒々と棟方の棟の一字をサインして下さった。それは棟方志功先生だった。それはもう20余年も前の美術展会場での出来事…」。
これは、和歌山県橋本市妻の木版画家・巽好彦さん(76)が1993年、棟方さん創設の日本板画院同人に推挙された時の、巽さんの挨拶文の冒頭の一節である。この挨拶文によると、93年当時でさえ、「もう20余年も前の」とあるから、棟方さんのサインをもらったのは、今から数えて約40年前のことになる。
巽さんは「大阪のデパートでの展覧会で、棟方さんの作品と出会い、これはこれまで見た版画と違うと思いました。ほんのりとした〝観音様のような女人〟の作品には、つくづく驚きましたねえ」と懐古した。
巽さんは、県立橋本高校で、図書部員だった頃、「東海道五十三次」で名高い、広重の浮世絵の本を見た。このとき、「ひろしげ」と読むべきところを、「ひろじゅう」と読んでしまい、生徒たちの面前で、大恥をかいたことがある。
そのことは、すっかり忘れていたが、大学時代に、大阪の地下鉄の車内の吊り広告で、「広重」という名前を見たとき、「ああ、大恥をかいた広重か」と、妙な衝動にかられ、天王寺美術館を訪ねた。そこで目にした見事な55枚の絵…。ひと駅ごとに風景が異なり、ひと駅ごとに旅の叙情があふれている。
それはまた、高校時代に、図書館で見たことのある「紀伊名所図会」(江戸時代後期)の、見事な風景画を思い出させた。とくに、塩市が立ち、舟運が活発で、賑わいぶりを感じさせる紀ノ川畔のまちのすがた、伴をつれて胸を張って歩く武士、縁側で休憩する旅人らの紀伊見峠の光景など、古里・橋本の風景が描かれた図会。それはまた、「東海道五十三次」の1枚1枚の絵の風景と、よく似ていて、心がふるえた。
すでに父を病気で亡くし、母を交通事故で亡くした頃…。何かが重く鬱積(うっせき)した気持ちで、何かに動かされるように、初めて「木版画」の真似事をやってみた。大学生の頃、奈良・東大寺で描いた仏像の絵を取り出し、それを見ながら、文具店で買ってきた彫刻刀を使って、こつこつ彫ってみた。
完成したのは、母の四十九日にあたる日。「初めての版画制作でしたが、作品が出来上がると、心がとても落ち着きましてね。母を事故で奪われた悲しみ、怒りのようなものから、救われたのでしょう。それから、不思議に木版画をやるようになったんですよ」と話した。
さっそく文庫本「版画入門」(徳力冨吉郎著)を買って、版画の基礎知識を学び、大阪に出たときは、美術展会場へ足を運ぶようになった。棟方志功と出会ったのは、この頃である。「皆さん、目録を買ってくれたら、本の裏にサインします」と、度の強いメガネをかけた棟方さんの肉声。目録を買うと、棟方さんは「むなーっ」と叫んで、本の裏表紙いっぱいに、「棟方」の「棟」の一字だけを、走り書きしたのであった。「びっくりしましたよ。あの気迫、あの個性…」と巽さん。作品にはもっと驚いた。「安於母利妃の柵(あおもりひのさく)」という題の女人の木版画。結い上げた黒髪、紅潮した頬、大きな目…。これまで見た版画とまったく違う。ただただ、「すごい」と思った。
巽さんの木版画作りは、先ず「紀伊名所図会」が、心の原点にあって、そこに広重の「東海道五十三次」が重なる。したがって、古里のまちの姿が描写対象。たとえば、紀ノ川畔の三軒茶屋の灯篭(とうろう)などの「東家の渡し場跡」、平安時代の創建とされる「東家の妙楽寺」、紀州徳川家の安産祈願所「ふじの寺 子安地蔵寺」、橋本を築いた応其上人の「応其寺」など、いずれもアングルが卓越していて、まちの遠近感が心にせまる。
また、担ぎだんじりと人物画像鏡をうつした隅田八幡神社の「ふるさとの宝」、舟の形をした珍しい「川原町の舟楽車」、太鼓と笛の音が聞こえてきそうな「だんじり囃子」、さらには橋本橋の空に花火が上がる「紀の川祭」など、郷土特有の雰囲気をかもしだす祭風景もある。
1975年頃、橋本市展・工芸部門で、初めての作品「女性像」が壁に飾られ、81年の橋本市展で、戦国武将・真田幸村ゆかりの「真田庵」が教育文化会館長賞を受賞。その後は、橋本市展で特選(市長、教育長賞)を得て、89年には日本板画院で「大和上市の家並み」が新人賞、その他、受賞多数を数え、91年には院友、93年に同人に推挙された。
一方、上京した際、よく立ち寄る東京・根津の串揚げ屋「はん亭」(木造3階建て)を彫った「明治が残る下町」は、この店に飾られ、その作品の素晴らしさを知ったテレビ東京が、巽さんを茶の間に紹介したというエピソードもある。
巽さんは現在、日本板画院同人(全国)、木版画・刀の会会員(関西)、紀北文人会会員(橋本)で、橋本市老人大学では「木版画による年賀状作り」を講義したり、橋本の姉妹都市・中国の泰山市には作品2点を贈ったり。自宅座敷の床の間には、棟方志功さんの「女人」の板画を掛け軸にして飾り、日々〝板画三昧〟である。
「何しろ、父が家具職人でしたから、小さい時から鉋(かんな)と、ひき粉の中で育ちました。ものづくりの手順やコツは、知らず知らずのうちに、身についていたのでしょうね。それに加えて、紀伊名所図会といい、広重の東海道五十三次といい、棟方先生の作品といい、それに、生まれ育った橋本のまちのすがた…。木版画は、それらすべての出会いがあればこそなんですね」と語った。


更新日:2011年7月16日 土曜日 09:06

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