ニュース & 話題

南海高野線アーカイブス♡橋本の鉄道ク・北森氏講演

和歌山県橋本市の鉄道愛好家でつくる「はしもと鉄道クラブ」の会員でフォトライターの北森久雄(きたもり・ひさお)さんは、このほど同市教育文化会館2階ホールで、「ふるさとの鉄道とまちの表情 南海高野線アーカイブス・紀見峠〜極楽橋」と題して講演した。
受講者は橋本市民大学いきいき学園の高齢者100余人で、北森さんは過去、半世紀以上にわたって撮影してきた写真の中から、約90枚をスクリーンに投影しながら、その歴史・風景の素晴らしさを紹介した。
南海高野線は、真言密教の聖地・高野山への参詣客輸送を目的に明治31年(1898)1月、今の堺東から狭山まで運転が始まり、大正4年(1915)に橋本まで開通。昭和4年(1929)2月、極楽橋駅まで全通した。
北森さんは、はじめに「南海電車のうた」(作詞・作曲=三木鶏郎、唄=伴久美子ほか)をカセットテープで紹介した後、林間田園都市駅誕生、沿線・小原田のかわら工場、米軍銃撃・傷跡残る跨線橋、秘境の駅・紀伊神谷とその周辺などを説明した。
例えば、橋本市の御幸辻駅の駅名は当初、高野辻駅だったが、高野山の参拝客が高野山の下車駅と間違えて下車したため、嵯峨天皇の高野山行幸の郷土史を思いつき、御幸辻と変更された。
昭和45年(1970)頃には、紀の川鉄橋を渡る車窓から、紅や青のシール織物の河原干し風景が眺められ、もちろん川中では、京阪神方面から訪れた太公望が竿を放列、アユ釣りを楽しんだ。
昭和5年(1930)6月には、高野山ケーブル(極楽橋〜高野山駅)が開通。難波〜高野山を国内外からの参拝・観光客が往来。平成9年(1997)9月、初代ズームカー(南海高野線・山岳区間・直通運転電車)の「さよなら運転」があり、大勢の鉄道ファンがカメラに収めた。
約1時間半、北森さんの講演に耳を傾けた高齢者らは、懐かしさで胸いっぱい。
受講者から「素敵で貴重な写真ばかり。写真集を出版しないのか」と問われた北森さんは、写真アルバム「橋本・紀の川・岩出・伊都の昭和」=樹林舎(名古屋)出版=に、一部掲載していることを説明。「これからも鉄道の素晴らしさを撮影していきたい」と話していた。
写真(上)は昭和55年(1980)当時の御幸辻駅。写真(中)は紀の川でのシール織物の河原干し風景。写真(下)は「初代ズームカーさよなら運転」の風景=いずれも北森さん撮影・提供。

更新日:2020年11月21日 土曜日 00:00

関連記事

ページの先頭に戻る

  • 標準
  • 大
  • RSS
  • サイトマップ

検索

過去の記事