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阪口・少年兵♡紙芝居で初披露~プロ・鶴谷さん製作

和歌山県橋本市出身の街頭紙芝居師・鶴谷光子(つるたに・みつこ)さん(57)は、亡き戦友の悲しみと反戦平和を訴え続ける、同市傷痍軍人会会長・阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さん(92)の紙芝居を製作、7月18日、阪口さん宅近くの同市古佐田区民会館で初めて披露して、同市内の団体役員ら約30人の拍手を浴びた。
鶴谷さんは大阪府高槻市在住で、一般社団法人・塩崎おとぎ紙芝居博物館の会員。約6年前、阪口さんの戦争体験談を知り、紙芝居作りを決意。紙芝居仕事や家事の合間を見て、阪口さん宅に通い、取材を続けた。
阪口さんは昭和19年(1944)、満蒙開拓青少年義勇隊に入隊。すぐ陸軍二等兵を命じられ、中国とソ連の国境で転戦。左後頭部に被弾して左耳の聴力を失った。
同20年(1945)8月22日、ソ連の飛行船が「日本の敗戦」を告げ、阪口さんらをシベリアに強制連行。途中、戦友は腹ペコで次々倒れ、阪口さんも死亡寸前だったが、道で偶然拾ったキャラメル一粒で九死に一生を得た。
さらにマイナス40度の極寒の地で、鉄道建設や材木伐採・搬送などに酷使され、戦友たちは祖国・家族を思いながら逝去。阪口さんは、その亡骸(なきがら)を山中に埋葬。泣きながら雪をかけた。
昭和21年(1946)12月、帰国が決まった際、阪口さんは決死の覚悟で、1個師団・80人の日本人捕虜の「戦友名簿」を、ソ連兵に極秘で作成。見事持ち帰って、その家族には可能な限り「戦友存命」を伝えてきた。
鶴谷さんは、その阪口さんの苦闘ぶりを綴った紙芝居「凍りの刀(こおりのやいば)」(7部構成、約170枚)を製作。阪口さんの証言に基づいた物語を、綺麗なアクリル画で表現した。
この日、同会館1階ホールには、自転車の荷台に積んだ木製舞台を用意。阪口さんは車椅子を押しながら、家族連れらの拍手で迎えられ、最前列に着席した。
鶴谷さんは、第1部「いざ満州へ」、第2部「少年兵 阪口陸軍二等兵」、第3部「死の行進」、第4部「北へ北へ」、第5部「飢えとノルマと酷寒と…」、第6部「帰還」、第7部「いま伝えたいこと」をダイジェスト的に上演。わかり易い言葉で、抑揚をつけて上演すると、会場は拍手でいっぱい。
阪口さんは「戦場の真実と、亡き戦友への思い、戦争を繰り返すな、という私の気持ちが、見事に表現されています。誠に有難い」と感謝。
鶴谷さんは「この紙芝居、今年中に全巻完成させて、また橋本や大阪で披露するなど、阪口さんの思いを後世に伝えたい」と話した。
写真(上)は阪口さんの戦争・シベリア抑留体験の紙芝居を初披露する鶴谷さん。写真(中)は紙芝居の未完部分について阪口さんに取材を重ねる鶴谷さん=この日、阪口さん宅で。写真(下)は鶴谷さんの紙芝居を見る阪口さん=前列左端=ら観客の皆さん。


更新日:2020年7月19日 日曜日 00:00

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