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橋本の道標石・写真展示♪伊勢・高野街道しみじみ

紀北地方の交通の要衝・流通拠点として繁栄した橋本のまちの歴史を知ってもらおうと、和歌山県橋本市野516の市立「あさもよし歴史館」で、企画展「道しるべ~二つの街道が交差するまち~」が開かれている。
道標石(どうひょうせき)や石灯籠(いしどうろう)の写真パネル、旧街道の絵図などを展示しており、大岡康之(おおおか・やすゆき)館長(学芸員)は「ぜひ、平安時代以降の旅人の足跡を感じていただきたい」と来館を呼びかけている。3月22日(日)まで。入場無料。
橋本は旧・伊勢(大和)街道と旧・高野街道が交差するまち。近代は伊勢街道に並行して紀和鉄道(現・JR和歌山線)と国道24号、高野街道に並行して高野登山鉄道(現・南海高野線)と国道371号が開通した。
伊勢街道は本来、飛鳥(奈良の都)~淡路~四国の官道だったが、朝廷権力の弱体化に伴いルートも多少変化。江戸時代には紀州藩主が城下(京橋)~紀の川沿い~奈良・吉野~伊勢・松阪を参勤交代し、大和街道と呼ばれるようになった。
高野街道は平安時代初め、弘法大師・空海が高野山を開創して、参詣道は京都~河内~紀見峠~慈尊院~高野山。南北朝時代には、橋本で紀の川を渡り、清水・学文路~河根・神谷〜高野山と歩いて、京大坂道とも呼ばれた。
天正15年(1587)には、木喰応其(もくじきおうご)上人が、高野街道と〝十字〟になる紀の川に架橋、塩市を開いて、舟運も活発化させ、橋本繁栄の基礎を築いた。
今回の企画展の橋本を通る伊勢(大和)街道では、東面に「左かうや こかは き三井寺 わか山」、南面に「右 いせ 山上 よしの なら はせ たへま」(西面に嘉永三年)と刻まれた古佐田道標石や、JR・名倉駅(現・高野口駅)の南方に「右 すてんしょ(ステーション)」と刻まれた道標石の写真パネルなど4枚を掲示した。
高野街道には1里ごとに道標石が建立されており、同展では同市柱本の「六里道標石」など13基の写真パネル19枚を紹介している。
説明文では幕末の安政4年(1857)、茱萸木(ぐみのき)村(現・大阪狭山市)の小左衛門(こざえもん)と五兵衛(ごべえ)が発起人となって建立したと綴り、紀伊国名所図会では、江戸時代の街道筋の風景画5枚を掲げている。
大岡館長は「これらの道標石は、昔から大勢の旅人と出会ってきました。道標石を見ることで、街道の果たした役割や、私たちに残した恵みに理解をふかめ、橋本の将来像を考えたい」と話していた。
同館の開館時間は午前9時~午後5時。毎週月曜日・休館。(電話・FAX=0736・33・0211)。同館はこの企画展の後、4月以降は「休館」になる予定。
写真(上)は「右 すてんしょ」と刻まれた高野口駅の南方にある名倉道標石。写真(中)は伊勢街道に建つ左から「古佐田道標石」「橋本道標石」「東家四つ辻道標石」。写真(下)は橋本橋北詰近くの橋本川河口付近に建つ「紀の川渡灯籠」=今は近くの同川堤防に移設。

更新日:2020年2月20日 木曜日 00:00

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