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令和元旦の流水光る♪真土万葉の里・飛び越え石

和歌山県橋本市隅田町の真土万葉の里の落合川にある「飛び越え石」が、令和2年元旦の流水に輝いた。この石は、天然の石橋で、万葉人が往来した舞台である。令和とは万葉集から出典した元号。それだけに「飛び越え石」を渡る心地も、まるで旅人のように未来の幸せの光陰が見えてくる。
落合川は幅10㍍前後で、両岸は岩石と木々竹林で覆われ、奈良県五條市との境界線を流れながら、紀の川へ注いでいる。
太古の「飛び越え石」は、この川を堰き止めるほどの一枚岩だったらしいが、「雨だれ石を穿(うが)つ」と言うことわざ通り、万葉時代には長年の水の勢いで削られ、巨石が二つに分離したらしく、水はその50㌢程の間を滔々と流れてきた。
万葉人は真土を舞台に8首もの歌を残している。そのうち飛び越え石については、「白栲(しろたえ)に にほふ信土(まつち)の 山川(やまがわ)に わが馬なづむ 家恋ふらしも=作者未詳」(信土山の川で私の乗る馬が行き悩んでいる。家人が私を思っているらしい)と詠まれている。
和歌山が誇る画家・雑賀紀光(さいか・きこう)さん(故人)は、この和歌をとても愛し、「飛び越え石」で馬と宮人が難渋している姿をスケッチ画に仕上げ、真土区では冊子「万葉の里」に掲載している。
この「飛び越え石」の貴重さを確認し、初めて教示したのは、万葉学者で大阪大学名誉教授の犬養孝(いぬかい・たかし)さん(故人)だ。
橋本万葉の会・副会長の奥村浩章(おくむら・ひろあき)さんが、犬養さんから「このまま放置すると、川の浚渫(しゅんせつ)工事で跡形もなくなる」と指摘され、平成5年(1993)11月、第1回「万葉まつり」を開催して、集まった約2000人の参加者に「飛び越え石」を残そうと訴えた。
今は真土区の住民有志や企業ボランティアが「飛び越え石」を大切に保存。周辺には歌碑をはじめ休憩所(トイレ付)を設け、大賀蓮(おおがはす)や菜の花、ヒマワリなど四季の花々を自然堆肥で栽培。多くの観光客から「心安らぐ素敵なところ」と喜ばれている。
令和2年1月1日昼過ぎ。3人の家族連れが2匹の愛犬を連れて、真土万葉の里を散策。愛犬とともに飛び越え石を往き来して、古き良き時代に心をタイムスリップさせていた。
奥村さんは「犬養先生や雑賀先生のご教示と、地元有志の方々の努力のお陰で、万葉古道の舞台を保存することができました。今年も真土万葉の里を訪れるなど、日々是好日でありますように」と祈っていた。
写真(上)は落合川の「飛び越え石」を愛犬と渡る家族連れら。写真(中)は飛び越え石で難渋する馬と宮人の絵=雑賀紀光さん筆(冊子・万葉の里より)。写真(下)は万葉人の幻が見えそうな「飛び越え石」と古道。


更新日:2020年1月2日 木曜日 00:00

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