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高野山初の木製五輪塔発見!高野聖と庶民の心にじむ

江戸時代後期の木製・五輪塔(ごりんとう)1万数千基が、和歌山県高野町の高野山・圓通寺(えんつうじ)で発見され、7月1日、高野山霊宝館で、山口文章(やまぐち・ぶんしょう)館長らが報道陣に発表した。この五輪塔は当時、全国を勧進遊行(かんじんゆぎょう)した高野聖(こうやひじり)が作り、お布施した庶民の願文を書き込んで、供養したらしい。
圓通寺・和上(わじょう)で高野山真言宗の添田隆照(そえだ・りゅうしよう)宗務総長は、「江戸時代の高野聖の実態や、庶民信仰がわかる貴重な資料」と話した。五輪塔の一部は7月20日~10月6日、高野山霊宝館「大宝蔵展」で特別公開される。
高野山・圓通寺は平安時代末~鎌倉時代初期、東大寺(奈良)再興の僧・重源(ちょうげん)が整備したと伝わる。山口館長らの説明によると、平成31年(2019)4月、同寺院関係者が本堂の須弥壇(しゅみだん)下から、木箱(縦横約30センチ、高さ約90センチ)16個を発見。その一部を開けたところ、沢山の木製・五輪塔が納められていた。
木箱の墨筆文字から、天保7年(1836)以前とわかり、五輪塔の材料は檜(ひのき)や杉(すぎ)。高さは約9センチ、幅約3センチと小さな塔で、その数は未開封分を加えると1万数千基にのぼるらしい。
五輪塔の表面には、墨筆を使って「地水火風空」を梵字で表し、底面には仏教の「八万四千信仰(はちまんしせんしんこう)」を意味する「八万四千内」、兵庫県豊岡市竹野町周辺を指す「但州(たんしゅう)・美含(みくみ)・竹ノハマ」、願主の名前である「八助」「チヨ」などと記し、内部には経文を収め、底部中央を栓で閉じていた。
「八万四千信仰」とは、古代インドの王様が釈迦の遺骨を集めて、「8万4000基の仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」を建立した由来に基づく。
山口館長は「高野山・奥の院に、石の五輪塔が数十万基もあるが、今回のような沢山の木製・五輪塔の存在は初めて。これは高野聖が諸国を遊行し、庶民からお布施を募り、自作の五輪塔に願文をしたため、将来、八万四千基を納める経塔(きょうとう)を造塔しようとしたのではないか」と推定。「とても貴重な資料なので、文化庁や和歌山県と調査、保存を検討しています」と話していた。
写真(上)は高野山霊宝館で木製・五輪塔を披露する高野山真言宗の添田宗務総長。写真(中)は高野聖が製作、庶民の願いがこもる木製・五輪塔。写真(下)は報道陣に説明する高野山霊宝館の山口館長=向かって左側。

更新日:2019年7月2日 火曜日 00:00

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