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平安時代の木造阿弥陀像など~九度山町文化財指定

和歌山県九度山町教育委員会は2月28日、同町北又656の高野山真言宗西光寺(さいこうじ)に安置されていた木造阿弥陀如来坐像と不動明王・毘沙門天立像の3躯と阿弥陀如来の台座1基を同町有形文化財に指定した。
同町教委によると阿弥陀如来坐像(高さ87・9センチ)は、整った螺髪(らはつ)、丸く穏やかな表情、肩の丸い円満な体型、浅く流麗(りゅうれい)な衣文(えもん)姿。
一木の割矧(わりはぎ)造りで、施された漆(うるし)や金箔(きんぱく)は、ほとんど剥落(はくらく)しているが、技法は定朝(じょうちょう)様式であり、付属の台座を含め、平安時代後期の作とした。
また、不動明王立像(高さ68・2センチ)は、頭を巻髪(まきがみ)にし、左手に羂索(けんさく)、右手に剣を持つ。毘沙門天立像(高さ71・2センチ)は、頭に髷(まげ)を結って甲冑(かっちゅう)をまとい、右手に宝棒(ほうぼう)、左手に宝塔(ほうとう)を持つ。
両立像とも、眉尻(まゆじり)を上げながらも、怒りの表情は抑制的で、体型はきわめて穏やか。施された彩色は、ほぼ剥落し、素地を残している。いずれも一木を使って、内刳(うちぐ)りを施さず、作風が一致。本尊同様の平安時代後期の造像とした。
北又区長と宗教法人・西光寺から平成30年12月、文化財指定申請があり、町教委が文化財保護審議会に諮問。今年1月、同審議会に答申。2月28日夕、同町有形文化財(美術工芸品・彫刻)に指定した。
北又地区は社寺、棚田、里山、土師(はぜ)場遺構から成る。「紀伊続風土記(きいしょくふどき)」によると「家数十七軒、人数八十九人」「黒河久保二川(くろこ・くぼ・ふたがわ)合流の所にあり」「昔此の淵にて命を損せしものあり」「村中集合して百万遍念仏」「阿弥陀瀧(あみだたき)の名此より起こるといふ」などとあり、他に類例を見ない程の文化的・山村集落である。
区民の話では第二次世界大戦後、20数世帯約100人も暮らしていたが、現在ではたった5世帯10人に減少。今回の木造阿弥陀如来坐像などは、平成26年(2014)、文化財活用地域活性化事業による、県文化財センター学芸員や町教委の調査で、その文化財価値が確認された。いずれも県立博物館で保存されている。
同町教委の山本新平(やまもと・しんぺい)社会教育指導員は「この3躯と台座1基は、高野山に伝わる同時期の仏像に匹敵する出来映え。高野山との強い繋がりのなかで造像されたと考えられ、北又地区の成り立ちを考えるうえで、貴重な仏像です」と話した。
西光寺近くには、樹齢約250年以上の「北又の銀杏(きたまたのいちょう)」(同町天然記念物=樹高約20メートル、枝張り約15メートル、幹周り約3メートル)があり、四季折々の風情を呈している。
写真(上)は九度山町指定有形文化財に指定された穏やかな阿弥陀如来坐像の表情。写真(中)は右手で来迎印(らいごういん)左手で摂取不捨印(せっしゅふしゃいん)を結ぶ阿弥陀如来坐像。写真(下)は阿弥陀如来坐像=中央=と不動明王立像=右、毘沙門天立像=左(九度山町教委提供)


更新日:2019年3月1日 金曜日 00:00

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