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佐野寺跡の珍品展示♪鋺蓋や軒丸瓦~現地学習会も

飛鳥時代後期(7世紀後半)の創建とされる、和歌山県指定史跡・佐野寺跡(さやでらあと=かつらぎ町佐野)の出土品を紹介する、展覧会「渡来の珍品佐波里(さはり)と佐野寺跡」が、2月6日、佐野寺跡近くの笠田公民館佐野分館で始まった。かつらぎ町教育委員会の和田大作(わだ・だいさく)学芸員は「ぜひ、佐野寺跡に立ち寄り、ここで珍品をご覧になり、畿内国(きないこく)南限の往時に思いを馳せてください」と言っている。10日(日)まで。鑑賞無料。
佐野寺は平安時代初期(9世紀)まで存続したらしく、県の「史跡指定理由」によると、平安初期の逸話集「日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)」に、「紀伊国伊刀郡桑原之狭屋寺(きいのくにいとぐんくわはらのさやでら)」と記され、狭屋寺は佐野寺と比定(ひてい)。江戸時代後期の「紀伊国名所図会(きいのくにめいしょずえ)」や「紀伊続風土記(きいしょくふどき)」にも狭屋寺(さやでら)跡と記されている。
昭和51年(1976)~平成26年(2014)の数回の発掘調査によると、寺域は南北114メートル、東西79メートルの広範囲に及ぶ。伽藍配置(がらんはいち)は東に塔、西に金堂を配し、その北側に講堂、南側に門を構えた「法起寺(ほっきじ)式」で、とくに塔の基壇(きだん)外装は、難波宮跡(なにわのみやあと)などと同じ木製と推定される。
今回の展覧会では、佐野寺跡の出土品をはじめ説明文、イメージ絵図、伽藍配置図、発掘調査の写真などを展示。とくに奈良時代に朝鮮半島から伝来したと思われる佐波里鋺蓋(さはりわんぶた)=銅と錫(すず)の合金製=は、佐野寺が中央権力との関係上、大きな拠点であったことを示唆している。
さらに川原寺式軒丸瓦(かわはらでらしきのきまるがわら)や、幾何学文軒丸瓦(きかがくもんのきまるがわら)、中国伝来の塼仏(せんぶつ=レリーフ形式の仏像)、風招(ふうしょう)=風鐸(ふうたく)の一部=などを並べている。
解説担当の和田学芸員は「ここは畿内国南限(きないこくなんげん)の、紀ノ川右岸の背山(せやま)に近い、白鳳(はくほう)寺院跡です。木製基壇や佐波里の存在などから、有力な地方豪族が創建したものと思われます」と話していた。
開館時間は午前9時~午後5時。場所は国道24号・佐野東交差点北約500メートル。
なお、同町教委は2月9日(土)午後1時30分~同3時、初の「佐野寺跡現地学習会」を開催。2月24日(日)午後1時40分~同3時には、西日本最大級の縄文時代大型竪穴建物「中飯降遺跡現地学習会」を開く予定。いずれも雨天決行(警報発令時は中止)で、参加無料。
問い合わせは、同町教委・生涯学習課(電話=0736・22・0303)へ。
写真(上)は展覧会「渡来の珍品佐波里と佐野寺跡」。写真(中)は去年整備された佐野寺跡の風景。写真(下)は展示された川原寺式軒丸瓦。


更新日:2019年2月7日 木曜日 00:00

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