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倒木!若木支えて卒塔婆護る♪高野山町石道見て歩き

和歌山県九度山町の慈尊院と、高野町高野山の大塔を結ぶ全長20キロ、1町(約109メートル)ごとに石の卒塔婆180基が立つ、世界遺産の参詣道・高野山町石道。私たちは今月はじめ、町石道のうち、大門前から矢立までの約6キロを下ることにしました。
今年9月の台風21号で、高野山では200年前に吹き荒れた嵐の時と同じような状態と聞き、果たして町石道はどうなっているのか、卒塔婆は傷ついていないか、1基ずつ確かめながらの歩行です。
歩くルートは町石道の中でも巨木の森林が鬱蒼(うっそう)とし、高野山森林セラピー基地の一つになっている場所です。
歩き始めは、きつい下り坂がしばらく続きます。まず一つ目の慈尊院側の9町石。何事もなく無事でした。よかった。しかし、下っていくに従って、様子が変わってきます。古木や若木の木々は、無残にも根こそぎ倒れ、日中でもほの暗いのに、光が差し込み、まるで違った道を歩いていると、錯覚するほどの変貌ぶりです。
32町石を過ぎた辺りで、私たち全員声を上げました。ここはかつて信仰林として植林され、樹齢300年ほどの大杉が立ち並びます。昭和29年(1954)、高野山道路建設の工事が始まった時、山稜掘削の土砂が捨てられて傷つき、痛々しい姿に。それでも頑張っている大杉に、私はいつも励まされてきました。
その大杉が真ん中辺りから折れていたのです。更に驚いたのは、その大杉が33町石の頭上に倒れそうになり、それを庇(かば)うかのように若木たちが、折れながらも懸命に支えている恰好になっているのです。それは不思議な感動でした。やはり町石道は仏様の道。その光景には、手を合わさずにはいられませんでした。
矢立てまでの町石は全て無事でした。私たちは口々に「怖かったやろ」「よかったね」「ありがとう」などと言いながらの一日でした。
いま、町石道は秋も深まり、紅葉の時期です。通行止めも解かれ、沢山の人々が歩かれています。     
        文と写真=倉田美佐子(くらた・みさこ)


更新日:2018年11月20日 火曜日 21:55

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