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滝行50年ぶり挑む!15日・西岡さん国城日霊の滝

和歌山県橋本市清水の国城山(くにぎさん)中腹にある「国城日霊(くにぎひるめ)の滝」で、8月15日、地元住民が集まり、天下万民の幸せを祈る滝行(たきぎょう)が、約50年ぶりに執り行われる。橋本・伊都地方でも、「国城日霊の滝」の存在を知る人は少なく、地元の造園業・西岡克紘(にしおか・かつひろ)さん(75)は、「とても神聖な森の中の小滝です。国城登山の際は、ぜひ、お立ち寄りください」と言っている。
「国城日霊の滝」は、高さ約6メートル、幅約4メートルの石垣状に、沢山の石が野積みされ、普段は各所から水が噴出。長くて約1メートル、短くて約10センチの糸水となって、10数か所から落水。雨で谷川が増水すると、綺麗な瀑布(ばくふ)に変わるらしい。
その滝壺の右上には、すでに姿が消えて「不動明王」の文字だけが残る石像と、邪悪をにらむ、やや新しい不動明王の石像が立つ。周辺には三平(さんぺい)大明神の御社(おやしろ)や、山神(やまのかみ)、弘法大師の石碑が祀られ、静けさの中、滝水(たきみず)の音や蝉の声がしみわたってくる。
地元資料や住民の話によると、この場所は国城山(標高552メートル)の中腹(同約300メートル)に位置し、山上の国城神社や三平神社にまつわる聖域である。
「国城日霊の滝」は、もともと谷川の小滝だったが、大正11年10月には、地元住民らの協力により、段差部分を石垣状に固めて、崩落しないように築造、神主に祝詞(のりと)をあげてもらって滝開きした。同年11月7日から1週間、戦地に出征中の兵士の健康を祈り、滝行を執り行ったのが始まりという。
また、国城山は征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ=758~811)ゆかりの聖山で、弘法大師・空海が、高野山への往来の際、峠=明神ケ田和(みょうじんがたわ)=から国城神社を仰いで、合掌したと伝わる。
西岡さんは「この国城日霊の滝は素晴らしく、半世紀前までは、多くの僧侶や信徒さんが、滝行に来られていました。時には私たちも滝に打たれ、休憩所(木造平屋)では、よく住民が集まり集会を催したものです」と述懐。「今は、もう一度、神聖な昔の空気を取り戻したい一心です」と話した。
半世紀ぶりの滝行は、8月15日(水)午後1時から、僧侶をはじめ住民約10人が参集して実施。西岡さんは白衣姿で滝に打たれ、世界平和や家族安泰などを祈ることにしている。
「国城日霊の滝」は、南海高野線・紀伊清水駅前から国城山へ登る途中、左側に立つ「国城日霊の滝(約450メートル)」の案内板が目印となっている。
(上)は滝近くで輝く「山神」の石碑。写真(上)は晴れ続きの日の国城日霊の滝。写真写真(下)は滝壺の上に立つ不動明王像。


更新日:2018年8月11日 土曜日 00:00

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