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高野下駅で古写真展や花栽培♪地元住民グループ活躍

和歌山県九度山町椎出地区の住民グループは、南海高野線「高野下駅」で、ふるさとの古写真を展示したり、季節の花を栽培したりして、高野山に向かう参拝・観光客らを喜ばせている。椎出ふるさとづくりの会の前滝悟(まえたき・さとる)会長は「電車の時間待ちのお客様には、当駅でまちの良さを知っていただきたい」と言っている。
南海高野線(高野大師鉄道)は、大正14年(1925)7月、大阪の汐見橋(道頓堀)~高野下間が開通した。当初は高野山駅、1か月余り後には高野下駅に改称。さらに鉄道は極楽橋駅、高野山駅へつながる。
同駅隣にある厳島(いつくしま)神社では、南北朝時代から伝わる「椎出 鬼の舞」(県無形民俗文化財)の奉納や、嘉承2年(1107)写経の大般若経(だいはんにゃきょう)を持つ地蔵寺では、見事な地蔵昇龍(じぞうしょうりゅう)の天井画が見られる。
とくに大正初期の椎出地区は約300世帯2500人の集落で、沢山の旅館があり、高野山の参詣客で大賑わい。弘法大師・空海が製法を伝えたとされる高野紙(古沢紙)づくりも盛んだった。
この歴史的な椎出地区で開かれたワークショップで、「最も大切なことは、高野下駅を曼荼羅(まんだら)のごとく利用すること」というアイデアが出たことから、椎出ふるさとづくりの会は、その一環として今春から写真展を始めた。
同駅入口から改札口へ登る、屋根付きの長い階段を〝展示場〟として活用し、その板壁に「椎出の今昔写真」10パネルを掲示した。例えば昭和初期の高野下駅の写真=唯見静子(ただみ・しずこ)さん協力=は、高野参詣の歴史を物語り、高野口~椎出間を往来していた乗り合いバスの心地よさが感じられる。
大正初期の「旅館街」の写真=喜多万里(きた・まり)さん協力=は、和風建築の旅籠(はたご)と着物姿の人や人力車、山駕籠(やまかご)などを活写しており、宿場町として栄えた風景を呈示。
プラットホームの休憩所(冷暖房付き)でも、住民グループ貢献による厳島神社「椎出 鬼の舞」のカラー写真などが掲示されている。
一方、同駅構内2か所の「高野花鉄道~花屏風」や、駅舎外の石垣に吊り下げた約60鉢では、パンジーやビオラなどの花々を植栽。住民グループ「花みずき会」などがせっせと水やり。やさしい花の駅の雰囲気を醸し出している。
現在の椎出地区の人口は、全国の例に洩れず約100世帯300人と減少しているが、前滝会長は「ここは鉄道の歴史、高野山参詣道の歴史、神社仏閣の歴史のあるまちです。私たちは南海電鉄の協力を得ながら、高野下駅と駅周辺を盛り上げたいと思っています」と張り切っていた。
写真(上)は高野下駅に飾られた大正時代の「旅館街」の写真。写真(中)は高野下駅プラットホームの休憩室に掲示された厳島神社の「椎出 鬼の舞」のカラー写真。写真(下)は高野下駅の表の石垣の鉢植えに水をやる住民グルーブ代表ら。

更新日:2018年4月19日 木曜日 00:00

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