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飛鳥時代の佐野寺跡を整備♪完成記念式・講演会

和歌山県かつらぎ町佐野塔壇の飛鳥時代後期(7世紀後半)の佐野寺(さやでら)跡の整備事業が完成し、かつらぎ町と同町教育委員会は、「佐野寺完成記念式・講演会」を開催した。井本泰造(いもと・たいぞう)町長は、佐野寺跡の保存・活用を誓うとともに「ぜひ、佐野寺跡に立ち寄ってほしい」と希望を述べた。
この佐野寺跡は、和歌山県指定の史跡で、畿内国南限(きないこくなんげん)の紀ノ川右岸の背山(せのやま)に近い白鳳(はくほう)寺院跡である。
県の「史跡指定理由」によると、わが国初の平安初期の逸話集「日本国現報善悪霊異記(にほんこくげんほうぜんあくりょういき)」に、「紀伊国伊刀郡桑原之狭屋寺(きいのくにいとぐんくわはらのさやでら)」と記され、狭屋寺は佐野寺と比定(ひてい)。江戸時代後期の「紀伊国名所図会(きいのくにめいしょずえ)」や「紀伊続風土記(きいしょくふどき)」にも狭屋寺(さやでら)跡と記されている。
昭和51年(1976)以降の発掘調査によると、寺域は南北114メートル、東西79メートルの広範囲に及ぶ。その伽藍配置(がらんはいち)は東に塔、西に金堂を配し、その北側に講堂、南側に門を構える「法起寺(ほっきじ)式」とされる。
とくに講堂跡の北東側で6角形建物跡を検出。塔の基壇(きだん)外装は、難波宮跡(なにわのみやあと)などと同じ木製と推察され、7世紀後半の川原寺式軒丸瓦(かわはらでらしきのきまるがわら)や本薬師寺(もとやくしじ)式軒丸瓦などが出土。
また、中国伝来の塼仏(せんぶつ=レリーフ形式の仏像)や、風招(ふうしょう)=風鐸(ふうたく)の一部=などは、佐野寺の中央権力との関係を知るうえで貴重な資料としている。
佐野寺跡で開かれた整備事業完成式で、挨拶に立った井本町長は、佐野寺が弘法大師・空海の開いた高野山や、その参詣道「町石道(ちょうししみち)」と「三谷坂(みたにざか)」に近いこと、文化財の保存・活用の大切さなどを話し、「今は京奈和自動車道や国道480号が開通して、とても便利になったので、ぜひ佐野寺跡に立ち寄っていただきたい」と語った。
講演会は笠田公民館佐野分館で開かれ、奈良文化財研究所の高瀬要一(たかせ・よういち)名誉研究員(佐野寺跡整備委員会会長)が登壇。「佐野寺跡の史跡整備と文化財の保存・活用」をテーマに、「ここは大和に近くて、安全で良いところ。このまちの皆さんは、佐野寺跡を誇りにしてほしい」などと語った。
写真(上)は整備された佐野寺跡の全景。写真(中)は講演会で語る高瀬名誉研究員。写真(下)は完成した木製基壇。

更新日:2018年3月20日 火曜日 00:00

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