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岡博士と交流「森本元校長の執筆冊子」発見・寄託

世界的な数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)の偉業について、後に岡博士の母校の校長を務めた和歌山県橋本市神野々の森本弘(もりもと・ひろむ)さん(故人)が、ガリ版刷りの冊子や連載新聞記事に綴っていたことがわかった。これらの貴重な資料は、森本さんの4男・森本之弘(もりもと・ゆきひろ)さん(73)が、自宅書庫で発見し、岡博士の思想を伝える「橋本市岡潔数学WAVE」に寄託した。瀬岡佳史(せおか・よしふみ)会長(67)は、「私たち同様、森本先生も岡博士に心酔しておられた。しっかり資料を熟読し、ふる里講演会などで皆さまに披露したい」と言っている。
岡博士の郷土は、同市柱本(旧・紀見村紀見峠)。柱本尋常小学校などを経て、京都帝国大学を卒業。多変数函数論の世界3大難問を唯1人で解き、文化勲章を受章、橋本市名誉市民となった。
森本さんは、岡博士よりも約6年後の明治40年(1907)8月、橋本市古佐田で産声を上げた。柱本尋常小学校や九度山中学校の各校長、橋本の教育長を歴任している。
柱本尋常小学校の校長時代には、文化勲章を受章した岡博士が再三、地元へ里帰りしたことから、森本さんは約4年間にわたり、岡博士と直接交流。その思想の奥深さに接し、深く感銘を受けている。
今回、之弘さんから寄託されたのは、森本さんの手書きのガリ版刷り冊子「岡潔先生のこと」や「情緒の教育」、当時の地方紙・紀の川新報の連載記事(森本さん執筆)のスクラップブックなど、約30冊にのぼり、岡博士講演の肉声カセットテープもある。
例えば、冊子「岡潔先生のこと」の中では、「雀のとび方」の項で、「岡先生は、雀1羽のとび方には、それぞれ個性が見えるが、多数のとび方を統計・平均すると、雀のとび方か、燕(つばめ)のとび方か、わからなくなる、と話された」という意味の言葉を記述している。
また、「花畑作り」の項では、荒廃した戦後の子ども教育について、「花を植えたらいいでしょう。子どもの心から残虐性(ざんぎゃくせい)をなくす、やさしさを身につけるには、花畑をつくり、花を育てさせていく方法がいい」とする趣旨の言葉が綴られている。
一方、岡博士は、本居宣長や禅師と弟子の禅問答などから、西洋思想を超越した東洋思想を高く評価。近代・宗教思想家・弁栄(べんねい)上人が、「大菩薩は妙観察智(みょうかんざっち)によって身を百千億に分かって衆生を済度する」などと講義している。
森本さんも、仏教書の「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」や「歎異抄(たんにしょう)」などを愛読。自ら会長を務め、座禅会を開いて、近所の寺院で座禅。岡博士と同様、宗教の奥義到達を目指している。
森本さんは岡博士の教育思想を記録、丹念に鉄筆で刻み、昭和37年(1962)前後には「和歌山師友会」会員に冊子を配布。日本人の心の根本は「情緒」とした岡博士の思いを地道に伝えた。
瀬岡会長はこれら冊子を熟読吟味(じゅくどくぎんみ)したうえ、来年1月、橋本市教育文化会館で開く市民講座で、「郷土の偉人 岡潔博士~森本弘先生の記録から~」と題して紹介する方針。
さらに「岡博士と親しく交流された、歴史的にも貴重な森本先生の直筆資料であり、将来、柱本で開館予定の『岡潔記念館』で展示、永久保存を検討したい」と希望を述べた。
之弘さんと妻・和子(かずこ)さん(69)は「父の書庫にあった、父執筆の岡博士の資料に驚きました。子供たちが健やかに育つよう、ぜひ、岡博士の教育理念を広めていただきたい」と話していた。
写真(上)は森本弘さん執筆の岡博士の冊子の数々=向かって左が4男・之弘さん、右が妻・和子さん、中央は瀬岡会長。写真(中)は冊子に印刷された岡博士の顔写真。写真(下)は橋本市数学WAVEに寄託された森本さん執筆の冊子の一部。

更新日:2018年2月21日 水曜日 00:00

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