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橋本の長藪城跡めぐる♪城山小児童~校名の意味体感

和歌山県橋本市城山台の市立城山小学校=山田卓司(やまだ・たくじ)校長=の6年生児童は、11月21日、地元の城山に残る中世の「長藪城跡(ながやぶじょうせき)めぐり」に挑戦し、校名の「城山」の意味を体感した。
この日、6年生44人とNPO法人ネットワーキング紀北や学校評議員、PTA、安全ボランティアら20人が同校視聴覚室に参集。
講師の城郭研究家・吉田亘(よしだ・わたる)さんが「長藪城という城山は3つの山から成り、出城跡は標高300メートル、西の城と東の城の城跡は同347メートルにある」と説明。
「この長藪城は守護・畠山氏に仕えた牲川義春(にえがわ・よしはる)氏が、文明年間(1469~86)に築城。城郭の総延長は約1キロに及び、その規模は紀北第1級、紀伊国最大級とも称される」と紹介した。
そのうえで「長藪城は山の尾根伝いに堀切(ほりきり)を設けて、迫る敵兵を防いだり、城内を桝形(ますがた)に囲って、進入する敵兵を弓矢、鉄砲で迎撃したりした」こと、「橋本市内には、このような山城が約40か所あったと考えられる」ことなどを話した。
この後、児童らは吉田さんや丸山修(まるやま・おさむ)教頭、サポーターらの先導で同校を出発。城山台の住宅地から、初冬の樹林が生い茂る「城山」に分け入り、先ず「出城跡」、次に「西の城跡」、さらに「東の城跡」へと順番に見て回った。
吉田さんは、要所要所で立ち止まり、「武士たちは出城で敵勢を確認し、相手が多勢とわかった場合は、その出城を捨城(すてじろ)とし、素早く東の城に移動した」「武士たちは敵兵が簡単に追撃できないよう堀切(ほりきり)を設けて侵攻を防いだ」などとわかりやすく話した。
そのたびに児童らは、遥か昔ににタイムスリップし、落ち葉に埋もれた「堀切」や「土塁」などに見入っていた。昼食時間には、長藪城跡の山中で、全員仲よく持参の弁当を味わい、校名の「城山」の意味についても、しみじみと理解した様子だった。
丸山教頭は「私も本校の卒業生ですが、子供のころ、長藪城のことは、まったく知りませんでした。きょうは本校児童が、長藪城跡めぐりで、その素晴らしさを体感できたので、大変良かったと思います」と話し、山道整備や児童をサポートしたボランティアに謝辞を述べた。
この長藪城めぐりを企画した「城山小・語ろう会」の浅井徹(あさい・とおる)会長は、「きょうは大いに楽しく盛り上がり、子供たちが長藪城跡や城山という校名の意味を学ぶことができました。とてもいい思い出となり、成長の基礎になると思います」と話していた。
写真(上、下)は吉田さんから長藪城跡の説明を聞く城山小学校の6年生児童たち=重入正彦(しげいり・まさひこ)さん撮影。写真(中)は長藪城跡のある城山の遠景。

更新日:2017年11月22日 水曜日 00:00

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