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四季の高野山町石道すてき♪転法輪寺で笹田さん講演

弘法大師・空海の命日にあたる3月21日、大師ゆかりの奈良県五條市の犬飼山・転法輪寺(てんぽうりんじ)=桑山慈紹(くわやま・じしょう)住職=で、橋本市高野口町在住の元・伊都地方教育事務所長・笹田義美(ささだ・よしみ)さんが、世界遺産・高野参詣道「四季の高野山町石道(ちょういしみち)」をテーマに講演し、五條・橋本両市などから参加した檀信徒らを感激させた。
笹田さんは、自ら撮影したカラー写真をスクリーンに投影しながら、弘法大師・空海が弘仁6年(815)、紀伊山地で狩場明神(かりばみょうじん)の犬2匹に高野山へ案内され、丹生明神(にうみょうじん)からは神領の高野山を貸与され、翌・弘仁7年に高野山を開創。転法輪寺では狩場明神、かつらぎ町の丹生都比売(にうつひめ)神社では丹生明神が祀られていることを紹介。
この町石道は、弘法大師・空海のご母堂を祀る、高野山真言宗・女人高野別格本山「慈尊院」から高野山へ通じる表参道で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であること。
次に、その道標(みちしるべ)として、1町(109メートル)ごとに五輪卒塔婆(ごりんそとば)形の石柱(町石)が建立、慈尊院~高野山・根本大塔間(約22キロ)に180基、根本大塔~奥の院・弘法大師御廟間(約4キロ)に36基の計216基が建立され、慈尊院から36町(1里)ごとの町石近くに「里石(りいし)」計4基置かれていることなどを説明した。
さらに弘法大師・空海は、唐の恵果阿闍梨(けいかあじゃり=746年~805年)から譲られた、真言密教の神髄を描いた両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)を持ち帰り、金剛界曼荼羅図と胎蔵界曼荼羅図のうち、町石道には胎蔵界曼荼羅図=女性が慈愛をもって胎内で生命を育み生み出す営み=を表現していると解説。
町石道沿いに建つ勝利寺の「十種勝利」とは「病気にかからない」「金銀財宝や食べ物に不自由しない」「一切の怨敵から被害を受けない」など。四種功徳(くどく)とは「臨終の際に如来にまみえる」「悪趣 すなわち地獄、餓鬼、畜生に生まれ変わらない」「早死にしない」「今生の後に極楽浄土に生まれ変わる」ことと話した。
奥深い山中に立つ「二ツ鳥居」は、丹生都比売神社の方角を向いており、「これは狩場明神、丹生明神への感謝の気持ちが大きい」と感想を述べ、町石建立の中には、それぞれ競い合うように「平氏(へいし)女」「源氏(げんじ)女」「藤原氏(ふじわらし)女」が浄財を寄進。大正2年の高野山開創1100年祭の時には、それまで倒壊・埋没してしまった沢山の町石を新しく建立しており、「当時の極楽浄土への思いの深さがわかる」と話した。
また、町石道に咲く「ハナイカダ(花筏)」をスクリーンに紹介。これは仏様の元に行くようにと筏に骨壺を載せた姿とされるが、「別名・ヨメノナミダと言われます。これは姑(しゅうとめ)から、料理に使う新芽を採って来いと命じられたが、ついに見つからずに若嫁の目から、葉の上にこぼれ落ちた涙の形です」と紹介。春は花、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪の景色の中を歩く素晴らしさを語った。
最後に桑山住職の妻・恵光(けいこう)さんが「私は7年前から慈尊院まで歩いていますが、一歩一歩あるくという有難さを忘れてしまって、『早く着いたら早く食べたい』などと考えてしまいます。これではいけません。ぜひ皆さん、町石道を歩いてくださいね」と話し、笹田さんに謝辞を述べて締めくくると、会場から大きな拍手が起きていた。
笹田さんは和歌山大学教育学部を卒業後、和歌山県立高校の教諭になり、橋本高校や紀北工業高校教頭、伊都地方教育事務所長などを歴任。著著に随筆集「心つくして」「紀の川散歩道」「四季の高野山町石道」などがある。
写真(上)は転法輪寺で講演する笹田さん。写真(中)は町石道の風景=「四季の高野山町石道」表紙より。写真(下)は丹生官省符神社に立つ狩場明神と白黒2匹の犬の大絵馬=笹田さんのスクリーン紹介画像。

更新日:2017年3月22日 水曜日 00:00

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