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江戸後期の「石の道標」発見♪「右かうや道」と案内

江戸時代の高野山参詣道の「石の道標」が、11月1日、和歌山県橋本市西横座の山中で発見された。たまたま近くに農作業に来て見つけた玉川峡愛好会の上西進(うえにし・すすむ)会長は「どこから来た道標なのか、今のところわからないが、できれば元に戻してやりたい」と話した。
この道標は、高さ約80センチ、幅約50センチ、厚さ約40センチの石製で、柔軟な文字で「右 かうや道」と刻まれ、建立年代などの表記はない。石の一部は、火災か焚火のせいか、熱せられたような赤みを帯びている。
この日、上西会長が夫婦で畑仕事にきた際、妻が近くに転がっている石を見て、「この石を畑で休む際の〝座席用の石〟として活用できないものか」と言うので、上西会長が石を起こしたところ、そこには「右 かうや道」と刻まれていた。ずっと昔、誰かが土砂と一緒に運搬して、ここに置いたものらしい。
上西会長の連絡で、現場に駆け付けた橋本市教委の大岡康之(おおおか・やすゆき)学芸員は、「これは江戸時代後期の道標であり、紀の川南側の高野山参詣道沿いに建立されていたもの」と判断した。
上西会長は「この道標を見て、どれほど多くの参詣人が、迷わずに高野山へ登ったことか測り知れない」と強調、「建立されていた場所がわかれば、元の場所に戻したい。わからない場合でも、高野山参詣の必要な場所に据えて、多くの人々に歴史を感じてもらいたい」と話し、石の道標を綺麗に水洗いしていた。
写真(上)は橋本市の山中で見つかった江戸時代後期の石の道標と発見者の上西会長。写真(中)は「右 かうや道」と刻まれた文字。写真(下)は道標を水洗いする上西会長。

更新日:2016年11月2日 水曜日 00:00

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