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紀見峠は「情緒の道」♪岡博士の故郷に「標柱」建立

世界的超1級の数学者・岡潔(おか・きよし)博士(1901~78年)を顕彰し算数・数学教育を進める和歌山県橋本市岡潔数学WAVE=瀬岡佳史(せおか・よしふみ)会長=は、7月4日、同市柱本の岡博士の故郷・紀見峠に「情緒(じょうちょ)の道」と記した標柱(ひょうちゅう)2本を建立・除幕した。瀬岡会長は「岡博士が称賛した〝日本人の情緒〟にちなんだ標柱で、奈良の〝山辺(やまのべ)の道〟や京都の〝哲学の道〟のように、多くの人々に愛されてほしい」と言っている。
岡博士は大阪生まれだが、幼少期や中学時代は、祖父の郷里・紀見村(現・橋本市柱本)で過ごした。京都帝国大学で学び「多変数函数論」などを発表。世界の天才・数学者でも、1問解くのに100年かかる、と言われた世界3大難問を唯1人で解いた超天才。文化勲章受章者で橋本市名誉市民。著書に「春宵十話」「日本のこころ」「風蘭」「紫の火花」「春風秋雨」「月影」「一葉舟」など世界に冠たる文学・哲学書がある。
紀見峠は旧・高野街道で、標高約430メートルの峠。弘法大師・空海が1200年前、高野山を開創した後、大阪・京都・兵庫方面から大勢の参拝者が往来。紀伊名所図会には大賑わいの「宿場町」として描かれている。
この日、岡博士の旧居宅跡付近と約1キロ南の2か所で、高さ1・5メートル、12センチ角の標柱を建立・除幕。2本の標柱の表には、岡博士の墨跡を集字(しゅうじ)して「情緒の道」と同数学WAVE・ロゴを刻み、うち旧居宅付近の1本の裏には岡博士の俳句「風蘭の香りの秘密見つけたり」、もう1本の裏には祖父から受けた道徳教育のことば「人を先にして自分を後にせよ」と刻まれている。
建立・除幕式には瀬岡会長や平木哲朗(ひらき・てつろう)市長、中本正人(なかもと・まさと)市議会議長、小林俊治(こばやし・しゅんじ)教育長、奥村浩章(おくむら・ひろあき)数学WAVE副会長、紀見峠区の岡達夫(おか・たつお)区長、橋本観光ガイドの会役員の森脇稔(もりわき・みのる)さんや、地元関係者約30人が参集。木地茂典(きじ・しげのり)数学WAVE理事の司会で進められた。
瀬岡会長は協力してくれた地元地権者や区民に深甚(しんじん)の礼を述べるとともに、「今回の標柱建立は、奥村副会長と企画。標柱の文案、制作はすべて奥村副会長(大弥工芸社長)のご厚志です。今年は〝情緒の道〟元年であり、開設予定の岡潔記念館(仮称)とともに、多くの人々が訪れてくれますように」と主催者挨拶。
平木市長は来賓祝辞で、岡潔記念館の建設遅れを踏まえながら、「平成30、31年度には杉村公園内の丸尾池改修を行い、岡潔記念館建設に取り組みたい」と述べ、中本議長も「議会として精いっぱい努力したい」と誓った。
小林教育長は「岡博士は数学者で、哲学者でもあるが、私は哲学者・岡博士に興味がある。ぜひ、情緒の道を歩きたい」と希望。森脇さんは「岡博士は粉河中学校時代、ここから南海高野線・紀見峠駅に通じる紀見峠・巡礼坂を通学。また、戦国武将・真田幸村も近くの行者道から大坂の陣へ出陣、奥様は巡礼坂を歩いたと思われる」と説明。「大勢の岡潔ファンや観光客に喜んでいただきたい」とアピール。
奥村副会長は、岡博士の俳句「風蘭の香りの秘密見つけたり」について、「これは二女の松原さおりさんに見せていただいた岡博士の手帳に残された一句です」と説明。金言「人を先にして自分を後にせよ」は「岡博士5歳の時に祖父から教わった道義心で、私もこの道義心を教訓としたい」と力説。最後に「岡潔記念館の早期建設を期待したい」と強調して締めくくった。
同夜、奥村副会長が高知県の「岡潔思想研究会」の横山賢二(よこやま・けんじ)主宰に電話で知らせると、横山主宰は「とても素晴らしいことをしてくれました」と讃え、奥村副会長は「ヒノキの標柱は100年後に腐敗しても、後世の心在る人々が、きっと受け継いで下さることでしよう」と語った。
写真(上)は岡博士の旧居跡付近に建立・除幕した標柱=左から平木市長、奥村副会長、瀬岡会長。写真(中)は岡博士の旧家から約500メートル先で建立・除幕した標柱=左から奥村副会長、瀬岡会長、木地理事。写真(下)は岡博士の故郷を観光客に紹介すると張り切る森脇役員。


更新日:2016年7月5日 火曜日 00:00

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