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妙楽寺「鐘楼門」が橋本市文化財に~本堂再建に弾み

弘法大師・空海が創建した和歌山県橋本市東家の真言律宗・妙楽寺=岩西彰真(いわにし・しょうしん)住職=の「鐘楼門(しょうろうもん)」が、同市内の建造物で初めて橋本市指定文化財に指定された。地元有志でつくる妙楽寺再建再興委員会の奥村浩章(おくむら・ひろあき)会長は「保存修復が大変な建造物の文化財指定に感謝します。これをバネに本堂再建に励みたい」と言っている。
同寺は奈良・西大寺の末寺。嵯峨天皇の勅願により、弘仁11年(820)に弘法大師が開創。姪(めい)の如一尼(にょいちに)が初代住職を務めた。
永仁6年(1298)に定めた関東祈祷寺34か寺の1寺で、織田信長の高野山攻めの際に焼失したが、その後、再建され、鐘楼門は宝暦9年(1759)の瓦銘から、同時期の建立とされる。
平成25年(2013)11月、同再建再興委員会が、修復建築家の鳴海祥博(よしひろ)さんら専門家の協力で、再建再興を実現。鐘楼門・落慶と如一尼1170回忌、本堂再建祈願の「慶讃(けいさん)法要」を営んだ。
鐘楼門は入母屋造りで屋根は本瓦葺き。屋根の東西には鯱(しゃちほこ)、四方では鬼瓦が空をにらみ、菊の御紋入りの丸瓦で飾られている。梵鐘(ぼんしょう)は2階に吊るされ、紐(ひも)を引くと鳴る仕組み。この梵鐘は、戦時中、やむを得ず国に供出、戦後は戻され、同市原田の寺院の鐘楼で使われたが、10数年前に妙楽寺に里帰り。長らく鐘楼門の荒廃、倒壊の危険性があったため、門下に置かれていた。
一方、本堂は荒廃がひどく、再建を前提に撤去。本尊・薬師如来座像と脇侍(わきじ)の大日如来座像、薬師如来座像の3体(県重要文化財)は、橋本市郷土資料館で保存されている。
今回の鐘楼門の文化財指定について、奥村会長は「先代住職(故人)は戦前、鐘楼門を国宝申請し、近畿郵政局も30数年前、国宝扱いで風景印に採用。今も橋本で消印として使われている。先ずは市指定を有難く思います」と謝辞。さらに「これを弾みに私たちは1日も早く本堂を再建再興し、本尊・薬師如来座像など3体を祀りたい。寒行托鉢では、皆様のご支援に感謝しています」と語った。
写真(上)は橋本市文化財に指定された妙楽寺の鐘楼門。写真(中)は妙楽寺の鐘楼門で除夜の鐘を撞く子供たち。写真(下)は現在の修復後の鐘楼門。


更新日:2016年4月4日 月曜日 00:00

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