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橋本の応其寺や慰霊碑めぐり~親子で平和の尊さ学ぶ

わかやま市民生協・橋本支所=一森健造(いちもり・けんぞう)支所長=主催の春休み企画「橋本まちあるき」が、3月28日、和歌山県橋本市のJR・南海橋本駅周辺で開かれ、約20人のお母さんと子供たちが、「橋本駅・米軍銃撃の犠牲」など、まちの歴史から平和の尊さを学んだ。
一行は駅前に集合。橋本観光ガイドの会の豊田恒雄(とよた・つねお)さんの案内で、駅前商店街を通り抜け、戦国時代の高僧・木喰応其上人(もくじきおうごしょうにん=1536~1608)を祀る応其寺(おうごじ)に到着。
生協の女性会員3人が、橋本まちの歴史資料保存会会長・村木宏(むらき・ひろし)さんと手芸家・中本敏子(なかもと・としこ)さん制作の「応其上人の紙芝居」を上演した。
応其上人は豊臣秀吉の高野山攻めを見事に防ぎ、紀の川に架橋、塩市を開き、農業用溜池を築造。高野参拝や舟運(しゅううん)を盛んにし、橋本繁栄の基礎を築いた偉業を話すと、子供たちは目を丸くして、応其上人や昔の風景が描かれた絵に見入っていた。
次いで明治43年(1910)に建造された橋本初の元・火力発電所(ドイツ式レンガ造り)を見学した後、橋本駅北側の高台にある丸山公園に登り、そこに築かれた「米軍・銃撃による橋本駅での犠牲者6人の慰霊碑」前に到着。
慰霊碑の世話人代表・阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さんが、丁寧に供花・線香をあげた後、持参の写真やイラストを見せながら、参加者に詳しく説明。
「米軍の艦載機による機銃掃射で、この静かな橋本駅構内でも、市民6人が犠牲になる惨劇が起きた。毎月24日の命日には、市民有志が供花、冥福を祈ります」話し、「如何なる理由があろうとも、戦争は絶対いけません」と力説。その心のこもった話し方に、子供たちは大切な何かを噛みしめている様子。
ここ丸山公園は、橋本・伊都地方でも名高い桜の名所。5匹のサル一家の園舎もある。お母さんや子供たちは、桜の蕾(つぼみ)がふくらむ中、サル園舎に立ち寄る。ある小さな女の子は、キョロキョロする母子ザルのしぐさに、「わぁ、かわいい」と指さしてにっこり。これまで園舎の掃除、エサやりなどに協力してきた橋本市古佐田老人クラブ連合会会長の池永惠司(いけなが・けいじ)さんは、その姿に「よかった、よかった」という風に見守っていた。
この日、橋本市北西部地域では一時的に雹(ひょう)が降り、橋本駅周辺では断続的に小雨が降ったが、お母さんや子供たちは終始、元気よく〝まちめぐり〟を楽しんだ。
一森・支所長は「秀吉の高野山攻めを必死で防いだ応其上人の偉業、橋本駅でも米軍銃撃による惨劇があったこと。とくに小さな子供たちは、今、はっきりとは理解できなくても、ここで何かを感じとり、将来、大切な思い出になってくれたら」と話していた。
写真(上)は応其寺で応其上人の紙芝居に見入る子供たち。写真(中)は丸山公園の母子ザルを眺める子供たち。写真(下)はお母さんや子供たちに橋本駅での米軍機銃撃の悲劇を説明する阪口さん。


更新日:2016年3月29日 火曜日 00:00

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