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平和を希求「9条まつり」♪歌・和太鼓・戦争体験談

和歌山県紀北地方の有志でつくる憲法9条を守る伊都・橋本連絡会=下村克彦(しもむら・かつひこ)代表=は、11月1日、橋本市立橋本中学校体育館で、第7回「伊都・橋本9条まつり」を開いた。先の参議院で安保関連法案が強行可決成立したが、主催者挨拶に立った下村代表は、「第二次世界大戦により、世界で5000万人もの人々が亡くなった。戦後70年の日本は、これまで1度も戦争をせず、1人の死者も出していない。これは憲法9条の力であり、これからも平和憲法を守りましょう」と訴え、大勢の参加者が賛同の拍手で応えた。
午前は「九度山真田ちゃいるど」がやっちょん踊りを演じ、きのかわ支援学校・和太鼓部が見事なバチさばきを披露、南出佳伸(みなみで・よしのぶ)さんがインコ夫婦を相手に〝笑マジック〟を繰り広げた。
午後は「橋本9条の会」のメンバーが「憲法九条五月晴れ」などを合唱。さらに「虹葉会(こうようかい)」が日本民謡、「グリーン・ウインド・アンサンブル」が吹奏楽、「新婦人の会」が銭太鼓、「橋本高校・新体操バトン部」がレッツ・ダンスを披露して、会場は楽しい〝祭り気分〟でいっぱい。
午後の冒頭では、和歌山県立紀北工業高校の元教諭・池永惠司(いけなが・けいじ)さん(85)が「戦争体験から今を思う」と題して講演した。
池永さんは「小学生時代、天皇・皇后両陛下の御真影(写真)と教育勅語を納めた奉安殿(ほうあんでん)に最敬礼、いつもぴりぴりしていた」「連日、相賀大神社まで、出征兵士を見送りに行き、兵隊さんの武運長久を祈った。日本は神の国であり、私たちはやがて兵隊になり、名誉の戦死を遂げるのが、正しいと信じていた」と、洗脳されていた当時の子供心を紹介。
また、「昭和20年7月24日には、米軍機が橋本駅を機銃掃射。その犠牲者6人のうち2人は同級生だった」と無念さを吐露。「6人の追悼碑は地元に住むシベリア抑留体験者・阪口繁昭(さかぐち・しげあき)さん(87)が中心になって、近くの庚申山に建立。命日には親族の方々とともにご冥福をお祈りしている」と述べた。池永さんは平和を守り、戦争しないためには、「教育が最も大切であり、命の限り、戦争体験を語り継いでいきたい」と語った。最後に富岡嬉子(とみおか・よしこ)事務局長が「9条まつり」の協力者・参加者に謝辞を述べて締めくくった。
会場では「原爆と人間展」(和歌山県原水協)があり、廃墟と化した被爆直後の原爆ドーム周辺の光景など、解説付き写真パネルを展示。参加者に反戦平和をアピール。紀北工業高校ものづくり研究部は、自分たちが制作した高野山のキャラクター「こうやくん」などのLED看板照明を飾り、参加者がほのぼのと観覧していた。
写真(上)は「憲法九条五月晴れ」を合唱する「橋本9条の会」のメンバー。写真(中)は演題「戦争体験から今を思う」を語る池永惠司さん。写真(下)は見事なバチさばきを見せる「きのかわ支援学校和太鼓部」。


更新日:2015年11月2日 月曜日 00:00

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