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老舗「みそや呉服店」別館を保存、本店は撤去移転へ

JR・南海橋本駅前の古い歴史的町並みは、市街地開発事業で次々と消えつつあるが、明応4年(1495)創業・明治16年(1884)建築の老舗(しにせ)で、国登録文化財の「みそや呉服店」別館(和歌山県橋本市橋本1の5の15)が、現地で保存・修復されることになった。ここは戦国時代に、橋本のまちの基礎を築いた木喰応其上人(もくじきおうごしょうにん)を祀る応其寺の近くで、すでに道を隔てて南隣の国登録文化財「火伏(ひぶせ)医院」も保存修復済み。「みそや呉服店」経営者の谷口善志郎(たにぐち・よしろう)さんは「歴史的な建築物の保存・管理は、簡単ではありませんが、郷土の古いたたずまいは、たとえ少しでも残して、伝承していきたいと思います」と語った。
「みそや呉服店」別館は、今は別館だが、もともと本館(本店)であり、約250平方メートルの敷地に、木造2階建て瓦葺きの母屋をはじめ、上蔵、下蔵、離れ屋敷の計4棟で構築。母屋は長い間「橋本まちかど博物館」として活用され、今は谷口さんが資料収集した「オリンピック・水泳の金メダリスト・前畑秀子(まえはた・ひでこ)さんの生誕100周年記念展」を開催中。
谷口家・口伝(くでん)によると、明応年間に創業した同店舗は、味噌(みそ)を製造し、主に江戸で販売。味噌は川舟に積んで紀の川を下り、紀伊半島沿いに、江戸へ運んだらしい。慶応元年(1865)頃から京都の呉服を販売。徒歩で大阪まで行き、淀川を舟で上り、京都で呉服を仕入れて帰ってきた。
屋号は明治初期から末期にかけて「みそや商店」「谷口商店」「谷口呉服店」、さらに現在の「みそや呉服店」と変遷し、大正末期に今の「みそや呉服店」を新築、本店として開業した。
「みそや呉服店」別館の修復・保存計画は、先ず1・5メートル以上、建物全体を持ち上げて、埋め立てで嵩上げされた東側に移動。現在の敷地を嵩(かさ)上げして基礎固めした後、建物を元の位置に戻し、屋根や柱、壁などを修復・保存することになるという。
一方、近くの「みそや呉服店」本店は、都市開発計画の区画整理のため、今後一旦、店舗を取り壊したうえ、仮店舗に移転を予定。これに伴い1月22日(木)~26日(月)午前9時30分~午後7時(最終日は午後5時)、「〝店まるごと〟売りつくし 在庫一掃大処分=最大90%OFF~平均50%OFF」の店じまいセールを行う。
谷口さんは「私の先々代が今の店舗(本店)に移転して足掛け九十年になります」「ここに厚く御礼申し上げます」と深く謝辞を述べ、別館の修復・保存について、「周辺には名高い応其寺や、火伏医院、池永邸、一里松・太神社など、貴重な歴史が残されています。みそや呉服店別館も、大切に残し、できれば橋本駅に降り立つ方々に、昔の橋本のたたずまいを感じてもらえれば幸いです」と語った。
問い合わせは「みそや呉服店」(電話0736・32・4000)。
写真(上)は修復・保存することになった「みそや呉服店」別館=今は「橋本まちかど博物館」として活用中。写真(中)は応其寺の門前で中学生に消えゆく歴史的町並みを教える谷口善志郎さん。写真(下)は前畑秀子さんの生誕100周年展を開催中の同別館。


更新日:2015年1月22日 木曜日 00:00

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