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高野山「雑事のぼり」大切~名所図会で板画家巽さん

高野山真言宗総本山・金剛峯寺に、山麓の和歌山県橋本市からゴボウを奉納する「雑事(ぞうじ)のぼり」が再現されたが、同市妻の日本板画院同人・巽好彦(たつみ・よしひこ)さんは、「これは紀伊国名所図会(文化8年=1811出版)に掲載された心温まる民俗行事」と称賛、自ら雑事のぼりを再現した素和治男(そわ・はるお)さんも「体力が続く限り続けて、次世代に伝承したい」と誓っている。
この「雑事のぼり」は昨年暮れ、山麓の「くにぎ広場・農産物直売交流施設組合」=岡本進(おかもと・すすむ)組合長=が実践。理事の素和さんら2人が、地元の国城山中腹で収穫した通称・畑ごんぼ=ゴボウ=を担ぎ、橋本市から高野山まで「黒河道(くろこみち)」を登って、金剛峯寺に奉納した。
巽さんは、版画制作の参照文献として、昔、購入した「紀伊国名所図会」(高野山・伊都関係)7巻を所蔵。そこには「雑事登(ぞうじのぼり)」の題で、「山上には一区の畝田(ほでん)もあらざれば、一ひらの青物も自由ならず」と、高野山の厳しい食料事情を紹介。
「されば四方(よも)の麓(ふもと)の村々より、四時(しいじ)の野菜なにくれとなくとり集めて、おのがさまざま苞(つと)にひきゆひ」と庶民の一途な作業ぶり、「暑寒(しょかん)を厭(いと)わず、かの峻嶮(さか)しき山路を攀(よ)ぢて、大師の廟前(びょうぜん)に捧(ささ)げ、帰依(きえ)の寺院に贈るを雑事登という」と説明している。
さらに、「口々の村々に、雑事懸(ぞうじがけ)といふものを造りて、春の若菜(わかな)より始めて、種々の花などもそれに懸けて、軒に釣り垣にくくり置けば」と前置き、「供米(くまい)を運ぶ馬男(まご)」などが、これをいち早く見つけて、「重荷にそへつつ上る事、一日も絶ゆる事なし」と、生き生きした生活ぶりを描写し、「黒河道」についても「黒河口、或は大和口(やまとぐち)ともいう。千手院谷(せんじゅいんだに)にあり」とし、「橋本辺(はしもとへん)よりの近道なり」と記している。
巽さんは、この「雑事のぼり」が昔から心に在り、これまで「橋本中学校・同窓生追善法要」を再三、執り行ってもらった高野山・無量光院に、自ら「無量光院山門」を刻んだ版画を寄進したり、自宅の菜園で栽培した野菜類を届けたりしてきた。
そこへ昨年暮れに繰り広げられた「雑事のぼり」の再現。巽さんは「紀伊国名所図会によると、僧侶が里人の苦労を思いやり、野菜の屑(くず)でさえも、羹(あつもの)にした。その鹿菜(しかざい)=鹿に食わせる野菜の屑=を、山上生活を支える施物(せぶつ)として重宝にしました。今回、かつて〝雑事の道〟といわれた黒河道で、あのように再現されたことは、誠に意義深いことです」と感激している。
これに対し、素和さんは「雑事のぼりは高野山と山麓を結ぶ貴重な歴史であり、同時に黒河道は世界遺産の価値ある道です。体力が続く限り、雑事のぼりを続けたいし、若い人たちの協力も、ぜひ、お願いしたい」と話した。
写真(上)は紀伊国名所図会を示し「雑事のぼり」は大切と語る巽さん。写真(中)は「雑事のぼり」を実践した素和さん=先頭=ら。写真(下)は「雑事のぼり」で金剛峯寺に到着した素和さんら=背中の背負子には奉納する「畑ごんぼ」が入っている。

更新日:2015年1月6日 火曜日 00:00

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