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橋本の大恩人「応其上人と引の池」発刊~偉業を伝承

高野山(和歌山県高野町)が世界遺産に登録されて10周年、その高野山を豊臣秀吉の攻略から救った安土桃山時代の高僧・木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)=天文5年(1536年)~慶長13年(1608年)=と、上人が改修した高野山麓の橋本市高野口町の「引の池(ひきのいけ)」の歴史をまとめた冊子「応其上人と引の池」が、引の池土地改良区=岡本善和(おかもと・よしかず)理事長=から発刊された。同改良区は郷土の小中学校などに配布するとともに、岡本理事長は冊子の終りに「伝えましょう、応其上人。守りましょう、引の池。」と、次世代への伝承を強調、心を込めて記している。

同冊子は、大正時代に教員を務めた故・岩城鋭夫(いわき・えつお)さん原著の「引の池と應其上人と應其村との関係」を基に編集。郷土の歴史家・瀬崎浩孝(せざき・ひろたか)さんが監修・校閲し、計300冊(B5判、64ページ、カラー)を発刊した。冊子は郷土の小中学校、きのかわ支援学校、きのくに子どもの村学園、高校、図書館、公民館、JR橋本駅のゆかいな図書館、高野山の霊宝館、和歌山県立図書館などに配り、活用してもらう。

木食応其上人は、木の実、草の実だけを食べて修行。秀吉の高野山攻めを説得で防いだほか、引の池の改修に尽力、紀の川に架橋、塩市も開いたため、農家は干ばつから救われ、まちは高野参詣人で大賑わい。今日の橋本の商工業・農業基盤を築いた。

同冊子は、表紙を応其上人座像(応其寺所蔵)や秀吉の肖像画、引の池の風景写真で飾り、中身も応其寺の山門、高野山・金剛峯寺、奥の院などの写真を織り込み、「歴史の中の応其上人」の年表、「引の池周辺略図」=岩城さんの孫、岩城正之(いわき・まさゆき)さん作成=などを収録、親しみやすく編集されている。

目次(見出し)も「政治外交官としての応其上人 戦乱の世に平和を希求して奔走」「文学者としての応其上人 連歌の名手にして第一等の文学者」「建築土木の設計・監督者としての応其上人① 寺塔の建立・増築、なんと97ケ所」「同② 民のための築堤・灌漑・架橋は数知れず」とあり、その人柄や功績の偉大さが、わかりやすく伝わってくる。

平木哲朗・橋本市長や小林俊治・橋本市教育長が発刊を讃え、「ミニコラム」欄には、引の池近くの中本敏子(なかもと・としこ)さんが、地場産業のパイル織物で制作した紙芝居「布絵の紙芝居」(応其上人と橋本橋、太閤さん 応其さん)が、県教委主催の紙芝居コンクールで特別奨励賞を受賞した話題も掲載している。

岡本理事長は冊子寄贈先に対し、「作家・司馬遼太郎さんも『空海の風景』で述べておられるように〝池をうがつことが政治の正義であり、最大の事業でもあった〟時代です。 上人のお陰で、400年後の今も田畑は潤い、まちは繁栄し続けています」と発刊に至った理由文を添付。「上人の偉業をぜひ次世代に伝えたい」と話した。

冊子を受け取ったJR橋本駅の「ゆかいな図書館」世話人・阪口繁昭さんは、「この冊子は写真や絵、年表で飾られ、文章もわかりやすいので、きっと皆さんに、愛読されるに違いありません」と喜んでいた。

写真(上)は発刊された冊子「応其上人と引の池」。写真(中)は中身に飾られた木食応其上人座像や高野山の写真。写真(下)は中身に飾られた豊臣秀吉、応其上人の肖像画。


更新日:2014年7月9日 水曜日 00:00

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