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学文路の賑わい、招魂碑の再建…写真展〝今昔物語〟

昔、高野山の表参道だった高野山麓のまち、和歌山県橋本市学文路(かむろ)地区の歴史的な写真を集めた写真展「かむろ今昔物語」が、6月11日、橋本市南馬場1173の77の市立学文路地区公民館で始まった。粉生隆行(こもう・たかゆき)館長は「来年、高野山開創1200年大法会や、紀の国わかやま国体が開かれるので、学文路の素敵なところを写真で再確認して、皆さんにアピールしたい」と言っている。22日(日)まで。入場無料。

写真は学文路地区公民館が募集。市民8人から提供された大正時代以降の写真計約40枚を展示した。例えば、〝学問の神様〟として名高い、学文路天満宮の菅野一三(すがの・いつぞう)宮司は「日露戦争・招魂碑」(大正2年、1913)の写真を提供。これは同神社前に建立された日露戦争の軍人の招魂碑前で、約100人の関係者が、羽織袴(はおりはかま)姿で記念撮影したモノクロ写真。その下には今、同神社の南西側に移設された招魂碑のカラー写真を展示、対比させている。

粉生館長の聞き取り調査によると、この招魂碑は第二次世界大戦の直後、アメリカ進駐軍に破壊されることを危惧した関係者が、ひそかに地中に埋設。その心配がないことを確認したうえ、改めて現在地に再建立したというエピソードがある。

また、フォトライター・北森久雄(きたもり・ひさお)さん提供の「かむろ大師前の賑わい」(昭和59年、1984)や「旧街道より学文路大師を望む」(同60年、同85)は、大勢の参詣者が同大師周辺を往来、当時の活況ぶりを物語っている。ところが今は、往時の賑わいがまるで嘘のように、閑静な町並みに変化。その今昔写真を対比させた。

このほか、石童丸物語の舞台として名高い学文路堂(かるかやどう)の顧問で俳人の岩橋哲也(いわはし・てつや)さん提供の「再建前の古い苅萱堂」をはじめ、大型台風で国城山の木々がなぎ倒される以前の「懐かしい国城神社」など、市民提供の貴重な記録写真が展示されている。

粉生館長は「この写真展は〝古里の再発見〟と、それを将来のまちづくりに生かすのが目的です。皆さんには、展示写真をご覧のうえ、学文路地区の今昔に関する話題や、エピソードを教えてほしい。そのうえで出来れば、改めて〝説明入りの楽しい写真展〟を開きたいと思います」と話した。

学文路地区公民館(電話0736・34・1546)。休館日=月曜、祝日。

写真(上)は写真展「かむろ今昔物語」を楽しむ女性たち。写真(中)は、大正2年撮影の学文路天満宮の招魂碑と関係者のモノクロ写真。写真(下)は参詣者らで大賑わいの昭和時代の学文路大師かいわい。


更新日:2014年6月12日 木曜日 00:24

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