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中世武士の要塞〝東家館〟へ歴史ファンどっと

古代の住居跡や墓跡、中世の要塞(ようさい)跡などが発掘された和歌山県橋本市東家の旧・橋本小学校跡(グラウンド)で、3月2日、橋本市教委と同市遺跡調査会主催の「現地説明会」が開催された。時折、小雨模様となる中、橋本・伊都地方や近府県から計約120人の歴史ファンが参加して、橋本を舞台にした古代・中世の歴史ロマンをかみしめていた。
この日、橋本市教委の大岡康之(やすゆき)学芸員が参加者を発掘現場に案内。2月24日に報道関係者に発表し、本紙でもその内容を紹介した「弥生・古墳時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)跡、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)、南北朝時代の中央派遣武士の要塞・東家館(とうげやかた)」などについて解説。テント内には土師器(はじき)や須恵器(すえき)、鉄刀(てっとう)、水差しなど出土品を展示して、見てもらった。
大岡・学芸員は、愛宕山側から紀の川側に出た「舌状(ぜつじょう)台地」の高さは約20メートルで、弥生時代には方形周溝墓を造営して人骨を葬り、古墳時代には穴の四角い竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)を建て、板葺(いたぶき)屋根の家で夏は涼しく、冬は暖かく過ごしていたと類推。さらに南北朝時代には、守護相当の武士が派遣された要塞(ようさい)・東家館(とうげやかた)が築かれ、当地方を治めていた。今回、近くで井戸跡が発掘されたことから、その生活、勢力ぶりが示されているという。
参加者から「発掘調査の後、この遺構・遺跡は、どうなるのか」などの質問が出され、大岡・学芸員は「この調査は旧・橋本小学校跡に〝橋本市こども園〟が建設されることに伴い、実施されました」と前置き。「この郷土の貴重な遺構・遺物は写真撮影し、図面に表記しますし、コンテナ何杯分もの出土品も、すべて整理保存します。この現場は、埋め戻すことになります」と説明した。
今回、発掘された遺構の穴、穴、穴は、前夜来の雨で池のような状態で、足元は極端にぬかるんでいたが、参加者らはカメラやメモ帳片手に、必死で大岡・学芸員の解説を聞いていた。
子供2人(小学生)と一緒に訪れた橋本小卒業生の会社員と、その妻(いずれも46歳)は、「子供たちが教科書だけでなく、現場を直接見聞できた経験は大きいと思います」と喜び、さらに「このグラウンドの下に、こんなすごい人々の歴史が埋もれていたとは」と感激。橋本市遺跡調査会の宮本佳典(よしのり)会長は「きょうは足元の悪い中、こんなに大勢の方々に参加していただいて」と謝辞を述べたうえで、「この遺構、遺跡、遺物の素晴らしさについては、必ず新年度に報告書を作成し、次世代に伝えたい」と語った。
写真(上)は大岡・学芸員の解説で大溝を見学する大勢の参加者たち。写真(中)はテント内に展示された旧・橋本小学校跡の出土品。写真(下)は整列した掘立柱穴群を見学する大勢の参加者たち。

更新日:2014年3月3日 月曜日 00:00

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