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祝う鐘楼門修復、祈る本堂再建~妙楽寺で慶讃法要

真言律宗総本山の奈良・西大寺の末寺、和歌山県橋本市東家の妙楽寺で11月4日、鐘楼門の落慶と、初代住職・如一尼(にょいちに)の1170回忌、本堂再建祈願の三大仏事を合わせた「慶讃(けいさん)法要」が営まれた。地元有志でつくる「妙楽寺再建再興委員会の森下巧委員長は、弘法大師・空海の創建と伝わる妙楽寺について、「檀家のいない名刹であり、その再建復興は、皆さんの総力で…」と訴えた。
法要には、導師に高野山真言宗・定福寺(じょうふくじ)住職・生地清祥(おんじせいしょう)僧正、職衆(しきしゅう)に真言律宗・利生(りしょう)護国寺住職・宮本昌峯(みやもとしょうほう)僧正と観音寺住職・柿内締光(かきうちたいこう)僧正、高野山・金剛峯寺の僧侶ら計12人の僧侶と、同寺を尊崇する善男善女約100人が参列した。
委員会役員の岡谷孝さんが司会・進行を務め、夜来の雨も去った午前10時、僧侶の列が参道の石段を登り、読経しながら鐘楼門をくぐって、境内の祭壇前に着座。
やがて厳かに読経が続く中、焼香が行われ、来賓の木下善之・橋本市長、地元の向井嘉久蔵(かくぞう)県議、県伊都振興局の古田雅昭局長、橋本市の松田良夫教育長ら11人に続き、参列した善男善女が次々と慶讃祈願。高野山・金剛峯寺の松長有慶(まつながゆうけい)座主・管長の祝電を披露した。
この後、鐘楼門修復など平素から同寺に尽力してきた平田建設、武田造園、岩橋組の各代表、板画家の巽好彦、料理研究家の北村和夫、修復建築家の鳴海祥博(よしひろ)の各氏に感謝状を贈呈。妙楽寺の岩西彰真住職(いわにししょうしん)住職が「鐘楼門の修復や慶讃法要を営むことが出来たのは、すべて皆様のご協力のお陰です」と謝辞を述べ、「私自身も当山の再建再興に向けてしっかり働き、皆様に気軽に来ていただける寺にしたい」と誓った。
この後、東家コミュニティーセンターに会場を移し、高野山「中門」建設の指導者でもある鳴海氏の記念講演を開催。鳴海氏は、妙楽寺と鐘楼門、釣鐘などの歴史、その造りの見事さなどを解説し、参加者の理解を深めた。
最後に委員会役員の奥村浩章(ひろあき)氏は「今のところ妙楽寺は文化財に指定されていませんが、先代住職(故人)は戦前、鐘楼門を国宝申請しているし、近畿郵政局は35年前、鐘楼門を〝国宝扱い〟で風景印に採用、今も橋本で消印として使われている。ご列席の県・市の方々には、ぜひ、文化財指定をお願いし、今は台風・豪雨で崩壊撤去した本堂を再建、改めて本尊・薬師如来座像など仏像4体(県・市の文化財)を祀りたい」と強調、「満腔(まんこう=満身)の謝辞とします」と締めくくった。
参列した善男善女は「歴史的・文化財的に貴重な寺だが、檀家がなく再興資金のない寺」「今は多くの人々の力を結集する意外にない」などと、口々に話し合っていた。
なお、参列者全員には、大矢実圓(じつえん)・南都西大寺長老の揮毫「善以為寶」(善を以て宝と為す=親しくすべき者に仁恩を施す事こそ宝である 財貨を宝としない)の色紙を贈った。
写真(上)は「慶讃法要」で鐘楼門をくぐる僧侶の列。写真(中)は焼香に先立ち読経する導師の生地住職・定福寺住職ら計12人の僧侶たち。写真(下)は鐘楼門の前で記念撮影する僧侶たち。


更新日:2013年11月5日 火曜日 01:45

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