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原発は原爆!と橋詰代表~〝さよなら原発〟上映

新潟県巻町(現・新潟市西蒲区)の〝原発実話〟をベースに映画化した「渡されたバトン さよなら原発」(池田博穂・監督、ジェームス三木・脚本)=伊都・橋本上映実行委員会主催=が、8月18日、和歌山県かつらぎ町のかつらぎ総合文化会館「アジサイホール」で上映された。会場ロビーでは写真展「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」=新日本婦人の会伊都支部主催=も併催。訪れた人たちに「反原発、反原水爆」を訴えた。
冒頭、上映実行委の橋詰弘代表(元・九度山町教育長)は「数年前に教職員のOB会で大飯原発(福井県)を見学した際、原発施設は空や海からのミサイル攻撃を受けると壊滅し、放射能被害は甚大なものになると感じました。私はもともと理科の教師で〝原発イコール原爆〟と認識しており、原発建設には絶対反対です」とアピールした。
この後「渡されたバトン さよなら原発」を上映。映画は1969年春、電力会社による巻町での原発建設計画を地方新聞がスクープ。老舗割烹旅館の主人やその家族は、町議会議員や町職員、一般市民とともに〝補償金〟をめぐり賛否両論が起き、激しく対立していく…、というストーリー。これは和歌山県日高町で1960~70年代に原発建設問題が起き、住民反対運動で原発計画が白紙に戻った例とよく類似している。
橋本市の木下善之市長や、和歌山市に福島県から避難中の剣道師範・佐藤勉さんら〝上映呼びかけ人〟とともに、原発問題に関心の深い県民らが映画を鑑賞。映画の中とは言え、もともと商売上、原発賛成だった割烹旅館の主人が病没間際に〝原発反対の折鶴〟を折り、原発反対の娘に手渡すシーンなどは、ハンカチで目頭を押さえる人の姿も見られた。
上映実行委の植西祥司・事務局長は「南海、東南海地震が叫ばれる中、これを機会に改めて原発問題を心に置いてほしい」と訴えている。
一方、ロビーでの写真展「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」では、計35枚の写真パネルを展示して、和歌山県原水協(原水爆禁止和歌山県協議会)の白井春樹・事務局長が、入場者にわかりやすく解説した。
広島原爆による被爆者の悲惨な写真を撮影した報道カメラマン松重美人氏は、「御幸橋交番の前には、男とも女とも判断のつかない地獄から出てきたような、髪も皮膚も焼けただれ、背中、肩、腕に水袋をつけたようにやけどがふくれあがった、この世の人間とは思えぬものばかりが、何十人もうごめき泣いている。『ひどいことをしやがったな』といいながら一枚写真を撮った。憤怒と悲しみのうちに二枚目のシャッターを切るとき、涙でファインダーがくもっていた」『日本の原爆文学14』(ほるぷ出版)ことや、佐々木禎子さんは2歳の時に被爆し、小学6年生の時に白血病を発症、病気治癒を願って自ら千羽鶴を折ったが、被爆10年後に亡くなったことなどを丁寧に説明。訪れた人たちは、広島、長崎の無残な光景に胸を詰まらせていた。
その脇では、「核兵器全面禁止アピール」の署名活動も行われ、入場者が次々と署名。これは国連に届けられることになっている。
写真(上)は映画「渡されたバトン さよなら原発」の一シーン。写真(中)は「原発は原爆、私は原発反対」とアピールする橋詰代表。写真(下)は写真展「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」で核兵器全面禁止の署名活動をする女性と写真解説する和歌山県原水協の白井・事務局長。


更新日:2013年8月18日 日曜日 21:45

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