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南海高野線・撮影半世紀〜北森さん新冊子配り講演

南海高野線の電車や風景を約半世紀にわたって撮影してきたフォトライター・北森久雄さん(和歌山県橋本市御幸辻)は、橋本市郷土資料館主催の「自然・文化財問いかけ講座」で、鉄道史や郷土史を愛する人たち約30人を対象に「南海電車と沿線の歴史」について講演した。
北森さんは約2年前、高野山麓・橋本新聞に「南海高野線アーカイブス」と題し、23回にわたって写真・記事を連載。この日、その写真・記事を改めて編集・印刷した冊子「南海電車と沿線風景〜高野線・半世紀の変遷〜」を参加者全員に配布した。
北森さんはパソコンで「林間田園都市駅」や周辺の巨大ベッドタウンの建設、天皇行幸ゆかりの元「高野辻駅」いま「御幸辻駅」、戦争の傷痕が残る橋本駅の跨線橋(こせんきょう)など、それぞれの保存写真をスクリーンに投影しながら、わかりやすく説明。
初めに「南海高野線は、その名の示すように、真言密教の聖地・高野山への参詣輸送を目的に1898年(明治31)1月、今の堺東〜狭山間で運転が始まり、そのさまざまな経緯を経て1915年(大正4)3月、橋本まで開通。極楽橋までは1929年(昭和4)2月に全通しました」と、概要を話した。
その後「地元に社会福祉センターのある御幸辻駅には、初めてエレベータができた」「70年代の小原田は、車窓から瓦を干す風景が見えた」「飲み屋の多い昭和の橋本駅前は大にぎわい」「織物干しやアユ釣りで、町家は小京都の風情だった」などと紹介し、大学の元教授や建築士など、やや高齢の参加者は、懐かしい昭和時代にタイムスリップし、感銘を受けていた。
北森さんは「南海電車も沿線風景も、時代とともにどんどん変遷します。私の知人の中には、亡くなった後、せっかく撮影した写真が、簡単に処分されてしまうケースもありました。映像は二度と戻らない文化財であると思いますので、どうか大切に保存をお願いします」と訴えていた。
冊子「南海電車と沿線風景〜高野線・半世紀の変遷〜」は、A4判サイズで、モノクロ写真入り24ページ。橋本市郷土資料館が300冊を印刷し、市内の全小中学校や高校、教育委員、公民館、図書館、全国の博物館に配布。「冊子・希望」などの問い合わせは、同資料館(電話0376・32・4685)へ。
写真(上)はスクリーンに写真を投影しながら講演する北森さん。写真(中)は冊子「南海電車と沿線風景〜高野線・半世紀の変遷〜」。写真(下)は南海高野線の冊子が発行されたことを説明する北森さん。


更新日:2013年7月30日 火曜日 13:09

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