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信太神社の大樟と彼岸花~高野口町九重の山里

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大樟の近くの畦道に咲いた曼珠沙華
    大樟の近くの畦道に咲いた曼珠沙華
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大樟の近くの畦道に咲いた曼珠沙華
    全身、洞と瘤だらけの大樟
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信太神社の境内北西に立つ大樟
    信太神社の境内北西に立つ大樟

その陰に立つと、ものの怪(け)と言うのではなく、そうかと言って霊験あらたかというのも、どこか自然ではない。が、確かに、限りなく遠い彼方から、この形容しようもない大樹のなかに宿る、ある気配のようなものを感じるのである。
和歌山県橋本市高野口町九重283、信太神社境内に聳え立つ「信太神社の大樟(くすのき)」。県指定天然記念物で、推定樹齢400年、樹高25メートル、幹周囲7メートル。根元にはクロガネモチ(黒鉄黐)の木が癒合(ゆごう)している。
下から見上げると、この大樹は全身、洞(ほら)と瘤(こぶ)だらけで、横綱の腕のようなかたちの枝は、その昔、落雷か何かで折れたらしい。空をおおう無数の枝葉は、風がひと吹きするたびに、めまいがしそうな音と光を放っていた。
これまでは、俗世で、事あるごとに、深く酒に酩酊(めいてい)し、欅(けやき)や楠を叩いては、「さあやるぞ」とか、「多謝、多謝」などと、訳のわからないことを、つぶやいてきたが、この大樟には近づき難い。近づくと、即天罰を受けそうなのである。
まことに古びた本殿に参拝した後、「信太神社(信太五大明神)」という表の看板を見る。「古文書によると、天武天皇の白鳳3年(674)に、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山で修行の際に、当社の境内で踊経されたとある」と記されている。
さらに「天元2年(979)に拝殿、御供所、神庫、楼門を改造したという伝えがあり、このことから1300年前にはすでに神社が創建されていたと思われる」とある。建物はそうでなくとも、この境内のただならぬ雰囲気。「やっぱり古い」と思ったら、こうも書いていた。
「この神社は、おんごろ(土龍=もぐら)の宮として近郷に名高く、神社北隣にあった別当寺(神宮寺)から、もぐら封じの護符が出されていた(中略)むかしから氏子の四か村には、もぐらは生息していないと言い伝えられている」と。
あの大樟には、近寄りがたいが、この神社が〝もぐら封じの宮〟であったことには、どこかユーモラスで、のどかで、信仰の楽しさみたいなものがある。そう思って、もう一度、回れ右し、本殿に一礼して、石段を降りた。
山深いこの地方の、稲田の畦道は、さすがにきれいに草が刈られていて、そこに曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲いている。9月23日は〝彼岸の中日〟それに曼珠沙華を、彼岸花ともいう。今年の残暑は、つい最近まで続いていたのに、曼珠沙華はまるで体内に〝宇宙時計〟でも持っているかのように、鮮やかな姿を見せていた。
どこかで聴いたような詩をもじって、「年々歳々、大樟また同じ、歳歳年々、人また同じからず」と、つぶやきながら、曼珠沙華にカメラを向ける。すると、曼珠沙華の向こうに大樟があり、「年々歳歳、大樟同じからず」と、怒っているようであった。
私は昨年7月、母を亡くした。その時は「葬送のこみあげてくる蝉の声」「これよりは母を心に雲の峰」と詠んだ。
目瞑れば父母其処に居る曼珠沙華
大樟の威風堂堂の秋の風  (水津順風)


更新日:2011年9月22日 木曜日 09:17

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