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古本「滅亡高野紙…」発見入手~版画家巽さん

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実物の高野紙を貼り付けた古本「滅亡高野紙見聞図録」と巽さん
    実物の高野紙を貼り付けた古本「滅亡高野紙見聞図録」と巽さん
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実物の高野紙を貼り付けた古本「滅亡高野紙見聞図録」と巽さん
    巽さんが入手した古本「滅亡高野紙見聞図録」
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蛇の目傘用(紺色染め)の高野紙を貼り付けた見聞図説
    蛇の目傘用(紺色染め)の高野紙を貼り付けた見聞図説

約1200年前の昔、弘法大師(空海)が中国から製法を伝えたとされる高野紙について記した古本「滅亡高野紙見聞図説」(1969年・柳瀬四郎著)を、和歌山県橋本市妻の木版画家・巽好彦さん(76)が入手した。高野紙は伊都郡内の高野十郷で漉かれ、昔は高野山の寺院の写経や障子紙、江戸時代以降は番傘などに使われたが、約5年前に完全に途絶えている。巽さんは「木版画を愛する者にとって、紙は貴重であり、この本を大切に保存したい」と誓った。
本は紺色に染めた厚紙で装丁。とくに、本の中には、高野紙の実物を貼り、「これが傘紙で、丈夫と古老が自慢」「婦人の丸マゲ型紙や合羽(かっぱ)にも使われた」などと説明。別のページに貼った紺色の紙のことには、「これは蛇の目傘用に染めた高野紙の残片」と書き、他にも原材料の楮(こうぞ)の黒皮、白皮見本や、紙漉き道具の萱簀(かやす)の萱の実物を貼って、その解説をしている。
高野紙は九度山町(一部・高野町)の高野十郷(東郷、西郷、河根、繁野、椎出、笠木、下古沢、中古沢、上古沢、細川)で漉かれて、「古沢紙」「河根紙」などの呼称もあるが、総称して「高野十郷」と呼ばれたと記している。
また、「明治以降、日本各地の和紙は、美麗で、きめ細かく、大判化したが、高野紙は粗野で、便利が悪く、小判で、二十世紀の要求には目もくれず…。これこそ高野紙の真骨頂であろう」と評している。
高野紙は楮の木を釜で蒸し、木の皮を剥(は)ぎ、乾燥させ、さらに蒸して、水に溶き、萱簀で漉き、天日干し、完成させる。その工程を分かり易くまとめるとともに、その1コマごとに墨で描いた見事な挿絵を添えている。
さらに、「たった一人の高野紙の孤疊(こじょう)を守る中坊君子さん方の現況と展望」と題し、中坊さんが、娘の佳代子さんの手伝いを得ながら、高野紙を作っているが、先細りの様子とつづり、「(高野紙の)世離れした粗野な肌、とぼけ味は、マシン文明に抵抗できる素質を多分に備えている」と結んでいる。
「紙すきえびす講」の話では、高野十郷の各一郷から村役人が二人ずつ出て、毎年正月十日と十月十日の二回、各郷回りもちで会合を開き、えびす神(掛け軸=上古沢厳島神社)を祀って、紙すき繁昌を祈り…と記し、「紙すきの技を他村の者に伝えないという定めをかたく守っていた」などと書いている。
巽さんは棟方志功さん創設の「日本版画院」の第58、59、60回展の審査員で、橋本市文化賞受賞者。この古本は、普段から「良書発見」を頼んでいる県立橋本高校時代の恩師で、大阪商業大学の元教授・中川光利さん(橋本市学文路)を通じて、東京の古書店から購入した。巽さんは若い頃、下古沢で紙漉き風景を見たことがあり、その後、紙漉き職人から頼まれ、不要になった楮のたたき台(桜の木)を、机の天板に加工したこと、木版画と紙は「水魚の交わり」であることなどから、「入手できて良かった」と喜んでいる。
なお、この本には「滅亡…」の題が付いているが、実際には5年程前まで、中坊佳代子さんが、母のあとを継ぎ、紙漉きを続けていたという。
本は、調者・柳瀬四郎 絵・山村富美子 図・木村考徳 印刷・和紙クラブ印刷部 刊行部数・五百部限定 刊行日・昭和四十四年六月一日 発行元・株式会社思文閣などとある。


更新日:2011年6月13日 月曜日 02:40

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