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郷土のフォトライター北森さん、南海電車と沿線の歴史、半世紀にわたり写真撮影。3月1日から本紙特集「南海高野線アーカイブス」に連載

和歌山県橋本市御幸辻に住むフォトライター・北森久雄さん(73)は、南海電鉄・高野線の電車と沿線の歴史を、半世紀にわたりカメラで撮り続けてきた。昭和の高度経済成長期にできた「林間田園都市駅」や、周辺の巨大ベッドタウン、平成の観光列車「天空」が、悠々と紀ノ川鉄橋を渡る姿など、その折々の光景を切り取ってきた。この貴重な写真は、本紙スタートと同時に、特集「南海高野線アーカイブス」(10日に1回更新)に3枚ずつ連載する。北森さんは「南海電車は通勤通学や世界遺産・高野山の観光、沿線の住宅開発・企業誘致など、郷土発展の基盤となってきた。その素晴らしさを改めて見つめ直してほしい」と話した。

北森さんは元橋本市教委・教育次長、元共同通信記者。シンマイ市職員の頃、市教委の広報紙「教育はしもと」の写真撮影を担当。本格的にカメラ取材を始めた。学校を順次訪問し、勉強と遊びの中で成長する子どもたちの素顔を紹介した。また、ほとんどの家庭にテレビはなく、娯楽も少ない時代、市公民館主催の「映画会」が各地で開かれ、自ら映写技師役を担当。学校のグラウンドのバックネットに銀幕を張ったり、寺院にスクリーンを持参、設置したりして、映写機を操作。高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾歳月」など、数々の名作を上映した。北森さん自身、カメラで撮る静止画だけでなく、スクリーンに繰り広げられる動画にもかかわり、次第に被写対象への関心を深めた。

とくに、1970年代には、「南海高野線は、近く、単線から複線に変わる」という話を耳にした際、「今後は、古里を走る電車も、沿線風景も変わる」と直感。しかも、北森さん自身が、同線「御幸辻駅」前で生まれ、育っているので、南海電車への愛着は誰よりも強かった。まるで日記でも付け始めるように、記録写真を撮り始めた。大阪・和歌山の両府県境を貫く紀見トンネルの山上や、その向こうの河内長野市まで、カメラをかついで徒歩で日参。トンネルを走り抜ける電車や、紀ノ川鉄橋を渡る電車、新たに林立する高層住宅などを片っ端から撮影した。

当初はモノクロフィルム、後にカラーフィルム、今はデジタルと「撮影道具」も変わり、撮った写真の枚数は膨大で数えられない。カメラでとらえた二度と戻らない光陰は、すべて貴重な「郷土の宝物」と考え、今はDVDやCDに移して保存。将来の劣化に備え、DVDやCDは各2枚に収録する慎重ぶりだ。

北森さんは若い頃から、写真や意見を新聞・テレビに投稿。その温厚な人柄やものの考え方、写真技術や文章力が高く評価され、市教委を定年退職後も共同通信社の嘱託記者に採用された。約13年間、地方記者として、南海電車だけでなく、橋本・伊都地方の事件・事故、高野山真言宗総本山・金剛峯寺、かつらぎ町の丹生都比売(にゅうつひめ)神社の宗教行事、四季折々の花鳥風月、地域ボランティアで活躍する人物など、精力的に取材、報道を重ねてきた。

今は、フォトライターとして、「人間の片言を話す犬・サクラちゃん」や「富有柿の原木」など、さまざまな郷土の話題をビデオで撮影。毎月数回、NHKに投稿し、茶の間に紹介され、「かわいい」「そんな話があったとは」と、反響を呼んでいる。北森さんは「私は美術・芸術的な写真ではなく、あくまで記録的な写真撮影を心がけています。従って、見事な写真とはいえませんが、その時、その場所で、その対象を、丹念に記録してきましたので、ゆっくりとご覧ください」と控えめに語った。

(2011年3月1日 曽我一豊)


更新日:2011年2月24日 木曜日 14:52

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